MASANOBU IN PARIS,1990
写真・文:大内正伸
|プロローグ|旅立ち|建築、寺院|ルーブル美術館|市場|街並、彫刻|ロダン、モロー|
|カフェ、人|ポンピドゥセンター|大道芸人|クリシー通り|帰国|
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プロローグ
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30歳。売れない自然系のイラストを描きつつ、肉体労働のバイトでしのぐ
一方、大手印刷会社のアートセンターに潜り込み、
ビデオテックスの画面デザインやイラストレーションをこなしていた頃のことである。
「君、ルーブル(美術館)をじっくり見てみたいと思いませんか?」
その仕事先のディレクターに唐突に言われたのだ。
ビデオテックスとは、当時NTTが推進していた電話回線を使った双方向通信システム、
すなわち今のインターネットの初歩的なものだ。
通信技術の先進国、フランスとイギリスを、仕事の研修を兼ねて
回るというツア−に誘われたのだった。
インド放浪やアラスカへの釣り旅に強烈な憧れを持っていた僕は
なかなか海外へ出るチャンスがない自分に忸怩たる思いであったが、
パリが自分の目の前にやってくるとは夢にも思わなかった。
いや、かすかな必然はあった。
絵画を通じて、である。ドラクロアが好きだったからだ。
彼はパリで暮らしていた。
ルーブルにはドラクロアがたくさんあるはずなのだ。
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象徴的な年であった。
まず、自分が30歳になったこと。そして死に出会った年だったこと。
作品のモチーフにもなった愛猫が事故で死んだ。
絵の才能を信じて、子どもの頃から僕を美術館へ頻繁に誘い出してくれていた叔母が、癌で亡くなった。
この年の末、作家の開高健の突然の訃報を聞いた。
もうひとつは画家、国吉康雄の生誕100年の回顧展が開かれたことだ。
高校時代から国吉の描く女性像をイコンのように部屋にかけ続けていた僕は、
この展覧会に4回も足を運んだ。
年の暮に奈良の建築や仏像を見に行った。中高生の修学旅行以来のことだった。
そうして翌1990年の1月、初めての海外旅行に出発したのである。