MASANOBU IN PARIS,1990
写真・文:大内正伸

プロローグ旅立ち建築、寺院ルーブル美術館市場街並、彫刻ロダン、モロー
カフェ、人ポンピドゥセンター大道芸人|クリシー通り|帰国

*****





クリシー通り


ンマルトルのクリシー通りはライブショーなどのポン引きが多く、
ほとんど新宿歌舞伎町の世界である。
かなり大きな通りなのだが、ポルノショップなどがズラッと並んでいるのだった。

ロートレックやルノアールが描いたムーラン・ルージュの前も通ってみたが、
当時とはおよそかけ離れた雰囲気になってしまっているのだろう。

ピガール広場あたりでアラブ系のしつこい客引きにつきまとわれた。
いくら追い払っても手を出してつきまとって来るので、いいかげん頭に来て怒鳴り散らして追い払ったが、
そのとき胸ポケットに入れていた財布とパスポートを抜かれてしまった。
やつはスリのプロだったのだ。





ツアーの続きロンドン行きはアウトになってしまった。
日本大使館で「帰国のための一時渡航書」を作ってもらい、自力で日本に帰るしかない。
ツアーの帰国便はロンドンから直行ではなく、スイスのチューリッヒでJALに乗り換える。
そのチケットを活かし便に乗れるなら、パリ〜チューリッヒ間の飛行機代だけで済む。
それが最も良い方法のように思われた。

その日まではあと丸3日ある。が、悪いことに土日を挟んでおり明日から大使館は休み。
月曜一日で様々な書類手続きを済ませねばならない。
まずは警察で紛失証明がいる。が、役所は土曜は午前中で閉まる。
それに気づいたのは翌日の昼11時過ぎだった。





ロビーに降りると添乗員氏がフロントでポリスステーションの場所を聞いている。
歩いて15分かかるというから急がねばならない。2人で外に飛び出したものの、
なぐり書きの地図がどこを差しているのかさっぱり分らない。ミシュランの地図を取り出し、
ガードマンや犬の糞掃除のバイク乗り(という職業の人がパリにはいるのだ。
その回転ハケ付きのバイクに乗った作業員をそのとき初めて見た)に聞くのだがこれが分らない。
親子連れにも聞いてみたがこれが観光客でダメ。

やっと横断歩道に女性のポリスをみつけて小躍りした。
ステーションはそこからすぐだった。ドアを開けると時計は11:55分を差していた。

オフィスの中は女性2名、男性1名。、
女性はセーターにスラックスの、ラフな雰囲気であった。たどたどしく事情を説明するのを
ひとつひとつ噛み締めるように聞き「まあまあ、困った人たちね」という感じでタイプを打っていく。
栗色の髪、灰色の瞳、僕と同い年くらいの女性だろうか。





書類を受け取ると証明写真を撮りに行った。途中までその女性が案内してくれた。
オフィスの建物は商店と繋がっていて、並びの奥に、日本でもよく見かける自動式の写真機がある。
先客があり、若い女の子が写真の乾燥待ちをしていた。

その機械に何度硬貨を入れても戻ってきてしまう。新硬貨は使えないらしいのだ。
マゴマゴしていると、その女の子がニコッと笑い
自分の財布から旧硬貨を交換してくれた。

後で気がついたのだが、ミシュランの地図にはちゃんとポリスステーションがアイコンで明示してあったのだ。





前へ次へ