PAGE|sketch vol.1sketch vol.2|9|10

ジャングルと海 Jungle and Sea 〜2001タイ採集紀行〜
文と絵:大内正伸 Masanobu Ohuchi



9日目「空の上で」
In the sky


虹の合掌

 チャラン先生がホテルから空港までのリムジンをプレゼントしてくれた。われわれは運転手つきの白いベンツで4つ星のホテルを出,バンコックのビル群をすべり抜けていく。ベンツはさすがに高速でも安定していて,道路に吸い付くような走りを見せている。

 荷物をカートを載せ,空港で手続きを終えると,ラーチンさんとチャラン先生が見送りに来てくれた。喫茶店でコーラを飲み,最後の会話を交わすが,胸がいっぱいで,それに英語の思考力が湧かなくて,オレはなんだか黙ったままだ。

 皆それぞれが,感謝の挨拶をしてゲートをくぐる。初日にはイラストレーターの名刺を渡したが,帰りは未来樹2001の名刺の裏にローマ字のアドレスを手書きしたものを渡して,オレもゲートをくぐった。

「グッドバイ,ラーチンさん! グッドバイ,チャラン先生!」

 帰りの飛行機の席はみなバラバラで,オレは中央のスクリーンの前の席だった。機内はほとんどが日本人で,みなたくさんのお土産を手にしている。20代と思われる若い人々,中高年も多い。飛行機が轟音をたてて動き始める。オレはデパートの本屋で購入した英文のタイのガイドブックを眺めながら,昨日のデパートの光景を思い出していた。

 その海外資本の高級デパートはできたばかりのようで,店内は世界的レベルの洗練さを見せていた。ブティックがあり,高級な家電製品が置いてあったりする。チャトチャの路上で,いざりのハーモニカ吹きが炎天下に物乞いしているのを見たり,屋台でタガメを食べたりしたあとなので,オレはその落差にまたクラクラしたのだった。

 自然とともに昔の暮らしを続ける人々と,抗いがたい西洋資本主義・グローバリズムの流れ。バンコックはその縮図を見せて,様々なことを考えさせてくれる。

 オレもまた,自然の暮らしと流域的な文化の存続を愛するとは言え,東京に住み,パソコンを使ったりして仕事をしている。今回のタイの旅での贅沢も,円高の為替レートを大いに利用しているのである。

 タイにはどうしようもない貧富の差,給料の格差があるようだ。しかし,あの市場で輝いていた人たちや,山村で出会った子供たちや,船を運転していた若い男たちは,はたしてバンコックの高級デパートの世界を,パリやニューヨークや東京の洗練を,憧れているのだろうか? 日本人が大切なものをかなぐり捨てて,西洋を目指して辿り着いた果てに,虚無の豊かさと引き換えに,自然とともに文化を育んでいった数千年の歴史を,とりかえしもつかないほどに破壊してしまったというこの現代の流れを。

 バンコックの電車の中で,ノースリーブで厚底ブーツを履いてさっそうと歩いている女の娘を見た。デパートの入り口で,制服まとって立っているガードマンを見た。そしてベンツのリムジンの運転手もまた,若いタイ人であった。彼らがいま,どんな思いでいるのか? わずか1週間程度タイをかすめたオレにその心中がわかろうはずもない。だが,タイの圧倒的なジャングルと豊穣な海を体験してきたオレには,彼らがまるで鑞人形のように見えたのだ。

 飛行機は高度を下げ始め,眼前のスクリーンがパーサーの手によって裏返される。そこにはタイの寺院のシルエットがデザインされていた。旋回する飛行機の窓から夕日の閃光が差し込み,オレの目の前に虹のスペクトルが現れた。その虹は,寺院の絵をしばらく照らしていた。

 キイワードは「花」だ。

 タイで採集したチョウの標本を眺めるつどに,この旅の様々な出合いを,きっと鮮烈に思い出すことだろう。あの25年前の花園の森の思い出と同じように……。

 オレは心の中で合掌し,機内の虹に向かって「コップクン・クラップ(ありがとう……)」と唱えていた。■(了)



     




                 

▲写真
1)ジャングルで見たトカゲ
2)スケッチブックを手にする著者。カオ・ソイ・ダオのコテージで












******



ジャングルで出会った子供たちと

スケッチブックの最終ページ


 


******


前へ次へ