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ジャングルと海 Jungle and Sea 〜2001タイ採集紀行〜
文と絵:大内正伸 Masanobu Ohuchi





1日目「七夕の日に」
A day of the ster festival

離陸

 2001年7月7日の土曜日,七夕の日,10年ぶり3度目の海外旅行が始まった。

 東京西多摩の山間部に住んでいるオレは,週に1回ほど打ち合わせで都心に出る。直前の金曜日,連載仕事のデータを届け,新宿でコンパクトカメラやスケッチブックなどを入手した後,劇団事務所にノートパソコンを持ち込んで夜10時まで制作。終電で帰宅したあと,旅行バックをチェックするうちに,明け方の鳥の声が鳴き始めた,という凄まじいスケジュールだ。おまけにタクシーがつかまらず,始発電車に乗る駅までの道のりを自転車に荷物を積んで押して行く,というなんともオレらしい旅の始まり……。

 成田に着くと,すでに一行の4人は到着して,荷物をカートに載せ、チェックの準備体制に入っていた。リーダーのケンことKW氏はオレと同じ42歳。トンボ・甲虫を中心としたオールマイティの虫屋であり,高校時代に茨城県北の採集地「花園山」でいっしょにネットを振った仲だ。タイ行きは7回目のベテランにして仕事で数カ月の滞在経験をもつ。長年の飲み仲間だが,ちなみにオレとは誕生日までいっしょである。S氏は41歳のエンジニア。トンボのアマチュア研究家,かつ最近は虫屋の見地から環境保全活動にも力を入れている。タッちゃんことST氏は大洗町で花屋を経営する40歳。彼もまたトンボの蒐集家・研究者。花や植物にはもちろんのこと魚や鳥にも詳しく,少年の興味のまま大人になってしまったかのような人物だ。Tさんは今回の最年長65歳。トンボとセミのアマチュア研究家で,南洋諸島での採集歴も数多いという大ベテラン。この5人が今回の旅のメンバーだ。

 成田発11:00のタイ国際航空機に乗り込んで空の人となる。バンコックまでの所要時間は5時間30分。身体は疲れているのだが,窓際の席で景色も気になるし,隣のタッちゃんは離陸時から

「大内さん,自分はねぇ,この飛行機の離陸のときが大好きなんすよぉ」

(ゴオオオオオッッッ……)

「ああ,いいなあぁぁぁっ,ほ〜ら来た! ほ〜ら来た!」

などとギャグで笑わせてくれるし(本人はウケ狙いではなく普通に話しているつもりらしいが),S氏との超マニアックな虫談義も面白く,たいして眠りもしないまま,時間が過ぎて行くのである。

 オレがチョウの採集をやめているにもかかわらず,水戸昆虫研究会の会報にエッセイを書いたり忘年会にたびたび顔を出すのはなぜか? タッちゃんもS氏もそれを不思議に思っているはずなのだが,話の中で2人はそれに触れようとしない。もっとも,オレ自身,チョウの採集をやめてしまった理由を,うまく説明することができないのだ。なんたってあの花園から25年だものな。

   

 機内誌でタイの地図を眺めながら,今回のタイ調査の場所を教えてもらっているうちに,タッちゃんたちが過去に何度も海外調査に参加していることを知って驚いた。40過ぎまで捕虫網を振り続けるエネルギーが凄いと思うのだ。もちろんオレも,昔は虫採りや魚釣りに夢中になる少年だった。チョウに魅せられ,水戸近郊の森林へ,那珂川中流の御前山へ,高校時代にはシーズン中,毎週のように県北の花園山へ通ったものだった。しかし,花園で憧れの山地性ゼフィルスを採った時点で,ぷっつりと採集をやめてしまったのだ。誰にやめろと言われたわけでもなく,もちろん昆虫に興味を失ったわけでもないのだが……。

 チョウの採集をやめてからのオレはといえば,フライフィッシングにのめり込み,次いで山登りを始めるようになり,南アルプスや北アルプスの山岳放浪に狂ったように入れ込んで,単独行で何日も山で過ごしたりした。その間,北海道で,東北で,日本アルプスで,九州で,少年のころから憧れだった蝶にいくたびか出会ったが,ふたたび採集熱が甦ることはなかった。オレに研究者やコレクターとしての資質が欠如していることもあると思うのだが,たぶんオレは,あの花園山の採集で自分の中の「何か」が到達してしまったのだ。それぐらいオレにとって花園の体験と思い出は強烈なのである。そのオレが,25年ぶりにネットを振るというのである。それも海外旅行10年の沈黙からさめた,憧れの東南アジアの中で。


バンコックに降り立つ

 昼食となる。機内食のメインディッシュはビーフと魚のどちらかだったが,オレは魚のカレーを選んだ。これがタイ風のカレーで,口に入れたとたん身体に喜びが走った。味と香りと辛味が自分の好みにぴったりだと思った。「SINGHA」というタイのビールもコクがあって美味い。これは花のような色の礼装をまとった美しいスチュワーデスに注いでもらったからなおさらだ。今回はタイの食事も楽しみにしているのだ。

 飛行機は高度を下げ始める。時差は2時間。時計の針を戻し,タイのドン・ムアン空港に降り立った。パスポートのチェックを受けて,荷物を取りに行く。われわれの荷物には採集用の竿だとか,灯火採集用の発電機だとか,普通じゃないものがしこたま混じっているので,荷物の受け渡しのときは皆の顔にいくぶんか緊張がはしる。成田での旅行カバンのX線照射では,4ツ折網のフレームだとか,三角缶などがしっかり写っていて,それを見たオレは思わず笑ってしまった。

 空港の出口で、ケンの友人ラーチンさんを待つ。しばらく間があったので,オレは構内をぶらついて,人々を観察する。白人は少なくて目立たない。アジア人は顔にいろんなタイプがあって興味をそそられる。インド・アラブ系の顔ははっきり区別できるが,その他の多くの人のお国は判然としない。現地の人は見分けがつくのだろうか? まあ身なりを見れば,日本人がすぐ浮かび上がってくるのは確かだが。

 ラーチンさんのガールフレンドのゴルフさんがまずやってきて,ケンと再会を喜びあい,その後携帯電話でしばしやりとり。そしてラーチンさんが現れた。

 ジェスチャーが大きくて,ケンと抱き合ったりしている。恰幅がよく,ちょびヒゲにサングラスをかけており,声がデカイ。エネルギッシュなおじさんという感じである。あらかじめケンがメンバーの名を伝えておいたのか

「ヘイユー・オオウチ?」「イエース・イエース」

「S?」「イエース・イエース」

「ST?」「イエース・イエース」

「T?」「イエース・イエース」

とひとりひとり自ら大声で名前を呼び,歓迎の握手してくれる。

 ゴルフさんとラーチンさんの車2手に分かれて空港を出発。宿泊先のバンコック市内のホテルへと向かう。雨だ。熱気をはらんだ東南アジアの雨だ。しかし雨の中,軽トラの荷台に人が乗っている車が走っているのに驚いた。それも結構なスピードだ。隣のタッちゃんが

「こんなの,ここじゃ当たり前っすよ,大内さん」

と教えてくれる。タッちゃんはケンを兄貴分のように慕っており,茨城での採集でもケンを師のように仰いでいるのであるが,タイ採集旅行にも熱心で今回が4度目だ。地方の小さな花屋の経営者が2年に1度タイに虫を採りに行く,というのは尋常ではない。それぐらい,タイの魅力に取りつかれているらしい。

 それにしてもデカイ町だ。大きな鉄筋のビルが次々と現れては消えて行くのだが,そのうち大きなビルの固まりがいっぱい近づいてきた。

「でもねえ,大内さん……」

と,再びタッちゃんの解説がはじまる。

「あのビルの下なんかには,すっごく汚い小さな家があったりしてね,それがねぇ……」

 それがタイの魅力なのか,悲しみなのか,途中でラーチンさんの大声にさえぎられて聞き取れなかった。ケンもそれに合わせて大声で応対している。ケンの英語はなんとなく分かりやすいのだが,ラーチンさんのは速くて意味が分からない。といってもこれはラーチンさんが悪いのではなく,オレが英語がさっぱりなのが悪いのだ。空港から出ると,ラーチンさんにいきなり早口の英語でマシンガンのように話しかけられたのだが,しどろもどろしていると英語ができないと分かったらしく,サングラスの奥にちょっとがっかりしたような目が光った。どうもオレは第一印象で英語が堪能と思われるらしく,この間も友人がアメリカ人を連れて遊びに来たのだが,同じように恥ずかしい思いをしたばかりだ。そのとき「旅行までにちょっとした会話ぐらいできるようにならないと……」と思ったが,先に書いたような忙しさだ。「英会話」より「〆切り」である。それにオレには絵という武器があり,必要に迫られればイラストで意志を伝えることができ,以前の海外旅行でもこれでけっこう切り抜けられたものだから,ますます英語習得がおろそかになっているのである。ところでタッちゃんはというと,

 「それはちがうんじゃねーのけ,ラーチンさぁーん」などと,タイ人を相手に茨城弁を口走ってしまうほどの心臓である。あっぱれなのである。

 車は下の道に降りて,バンコックの市街地を走る。バイクの数が凄い。ヘルメットをかぶっていない人も多いし,3人乗りなんてのもざらにいる。それにオート三輪のタクシーが爆音をたててびゅんびゅん走っている。肉の串刺しを焼いている屋台が見える。煙りが上がっていて,窓を開けたら匂いが流れてきた。庭先の樹や,街路樹が特異で目を引かれる。街は,新旧入り交じった渾沌とした感じだが,ヨーロッパとはちがう温かな安堵感のようなものを感じる。それに切り花を売る店や,花を売る屋台などがあって,びしゃびしゃと汚れた街並みに,ハッとするような鮮やかな彩りを添えている。

 

 ホテルは市内の東側,4星クラスの50階建てという高級ホテルで,その豪華さにびびってしまうほどのものだった。といっても今夜と最終日だけバンコック市内のホテル泊,あとの6泊はジャングルのコテージになる予定だ。ホテルでもう一人の案内役,チャラン先生を紹介してもらう。


夜の歓迎会

 明日からわれわれ一行は,水戸昆虫研究会のタイの昆虫調査の一環で東南部,チャンタブリの原生林に入る。水戸昆虫研究会は,ほぼ2年に1度のタイの昆虫調査を続けており,今回は6回目ということになる。現在まで北部チェンマイの東の町ナン(‘95.5月),バンコックの東部カンチャナブリ(‘97.4月),タイ南部チュンポーン(‘99.6月)などの調査を行ない,成果を学会や会報などに報告しているが,東南部の調査は初めてとのことだ。今回は茨城県の農業研究職のケンが,仕事でタイに滞在した中で,カセサート大学理学部の元副学部長チャラン先生と,その友人ラーチンさんとの交友がうまれ,旅のコーディネート役をこのお2方に全面的にお願いすることになった。

 ホテルに荷物を置いて,夕刻,ホテル前のタイレストランで歓迎会。タイ料理に舌鼓を打つ。チャラン先生はグルマンにして酒豪であり,タイ滞在中にケンはずいぶん鍛えられたみたいだ。今回も

「大内が来てくれると酒の相手が増えて助かる助かる!」などと言っていたのである。ウ〜ン,それにしてもタイ料理はウマイ! 
 トムヤムクン(エビの辛いスープ),揚げたガーリックをふりかけたフライドチキン,小ナスのグリーンカレー,カニ肉入りの焼飯,魚醤ナムプラの旨味と生の唐辛子の鮮烈な辛味,それにタイレモンの酸味の織り成す味わいに,初日から虜になってしまうのである。レモングラスやパクチイ(コリアンダー)と呼ばれる香草の香りもすばらしい。初日からこれじゃたまんないね。いや,ひょっとしたら,明日からのジャングル生活ではまともな食生活はないのかも? ケンにそれとなく聞いてみると,

「ふふん……,すべてコーディネーターの2人に任せてある」

 と言ったきりだ。ラーチンさん,チャラン先生と片言の英語で交流をはかりながら,いつしかタイビールはタイブランデーのソーダ割りとなり,われわれは満腹状態となった。しかし「もう少し食べないか?」とチャラン先生が言う。

 ここで登場した酒のつまみにオレはすっかり参ってしまった。それは大皿に7種の食材が乗った「ガイサムヤーン」というもので、中央に干しエビの空揚げ,その周りを囲むように,タイレモン,タイチリ(赤と緑),ピーナッツの煎ったもの,レモングラス,タイジンジャー,レッドオニオン,それぞれサイコロ大の大きさのものが小山になって盛られている。食べ方はというと,それを7種一粒づつ(あるいは自分の好みのものだけ)手のひらに載せて,パクッと口に入れて7つの混合の味を楽しむのだ。レモングラスのフレッシュな香り,タイレモンの酸味(これは皮付きなのでさらに苦味が加わる),タイチリのダイナマイトのような辛味,ピーナッツのコク(タイのものは小粒だが味が深い),干しエビのしょっぱさ,ジンジャーやレッドオニオンの清々とした歯触り,これらが口の中で弾けながら,渾然となるのである。手に取ってポイッと口に放り込む食べ方を見ていると病人が錠剤を飲むのを連想してしまうが,これは精力剤的なおつまみなのだ。ガイサムヤーンとはタイ語で「3羽の鶏」という意味だという。これを食べれば鶏3羽分の栄養が摂れるといった意味らしい。おそらくこのつまみには,ビタミンやミネラルなどの栄養素が豊富に含まれているはずだ。

 

 ゆらゆらと店を出た。路上では屋台で人々が盛り上がっている。オレも混ざりあって夜を観察したいが,もう身体が眠ってる。

 先週からこの出発の週にかけて仕事に追いまくられていたのだ。オレはここ数年は森林ボランティア活動に入れこんでおり,グループ「未来樹2001」という会を主宰していて,その定例活動やイベントの事務処理,報告文作成,はたまたホームページの更新もやっている。前の週は林業雑誌の連載原稿を仕上げ,出発の週はイラストからコピー・デザインを一手に引き受けている『D新聞』のデータ作成に追われ,途中でどうしても断れないデザインの仕事が入った。10年ぶりの海外旅行が近付いているというのに,編集者から〆切り催促の電話が頻繁にかかったりして,ろくな下調べや支度もできぬまま週末がやってきてしまったのだ。

 タイチリの辛味が舌に残っており,頭の中はタイ料理の感動が渦巻いてる。ホテルのベットに横たわると,オレは曝睡状態に入っていった。■




▲写真
1)タイ・エアー機に乗り込む
2)到着の夜、バンコックのレストランにて


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