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ジャングルと海 Jungle and Sea 〜2001タイ採集紀行〜
文と絵:大内正伸 Masanobu Ohuchi



7日目「島へ渡る」
To island by ship


憧れのドリアン

 2日目にラーチンさんとチャラン先生が買っておいたドリアンがまだ若く,特有の腐敗臭が立ってこないというので,われわれは旅の間,スイカほどもある大きさの2個のドリアンを,食べずに温存していたのであるが,ラーチンさんとチャラン先生からOKのサインが出た。

 ベランダに出,オレのスイスアーミーナイフでチャラン先生がさばき始めるのを,われわれは固唾を飲んで見守る。
 果実の魔王,ドリアン。これぐらい不思議な果実もあるまい。まずその棘だらけの形も凄いが,臭いがまた凄まじいので有名である。開高のエッセイや小説にもたびたび登場し,オレの好きな短編『貝塚をつくる』では,ドリアンが効果的なモチーフとして使われていたのを思い出す。

 ナイフで皮を剥がすと中からつやのある黄色い果肉がでてきた。チャラン先生が取り分けてくれたそれを,オレは不安と期待の中で口に入れる。最初にタマネギの腐ったような,腐敗した生ゴミのような一撃が鼻をかすめた。しかし,口に含むとクリームチーズのようなねっとりとした感触の後に,なんとも高貴な香りと気品のある甘さがやってきた。そして,2口目からは,臭いがまったく気にならなくなった。

 感動しながらうなずくオレを,ラーチンさんはにこやかに見ている。初めて食べたドリアンは、「王」たる名に相応しい果物だった。

     

 今日はタッちゃん,S氏,Tさんの3氏はふたたびコテージ周辺の野池,牧場を調査し,ケンとオレはチャラン先生らと近くのサメット島に渡ることになった。ゴルフさんも戻ってきていたので,5人で出発である。

サメット島のチョウとハチ


 船着き場で車を降りるともう海の匂いだ。しかしなかなか強烈な干物の臭いもする。タイの干物は魚の腸も抜かずに干しているものもあって,クサヤ臭のような発酵した香りが強くてたじたじとなってしまう。土産物屋がズラッと並んでいて,貝の加工品や干物などを所狭しと並べたりぶら下げたりしている。

 漁船を改造したような遊覧船で港を出る。運転手も助手も,港で働いているのは20代と思われるような若い男が多かった。島までおよそ30分の行程だ。桟橋には小魚が群れている。桟橋の杭がヤシの木を1本まるごと逆さまに突き立てたもので,小口にセメントが塗られている。その杭にフジツボやカキがびっしりと付いている。港を離れると,何隻か漁船とすれちがい,乗組員がこちらに手を振っている。

 島が近付くにつれて,海岸の美しい海の色が近付いてきた。初めて見る南の海の色だ。パームやココヤシの葉が海風に揺れている。これまたジャングルとは対照的な息を呑むような美しさだ。船着き場には小さな茶店が並んでいて賑わっている。上陸し,広場の店を覗いていると,軒先きに金属光沢の虫が飛んでいるのが見えた。

「ケン,あれ青蜂(セイボウ)じゃないの?」

とオレが言うやいなや,ケンは電光石火の早業でネットを取り出し,店の中まで追いかけ,さんざん振り回した末,ようやくネットに入れた。

 青蜂とは,翅と目を除いたおおよそすべてが青い金属光沢に輝く美しい寄生バチの一種だ。店の人は最初あっけに取られていたが,そのうちに,「こっちに行ったゾ!」などとケンを応援し始めるのだった。

 サメット島は長さ6kmくらいの細長い島。以前はヒッピーのたまり場だったらしいが,最近は政府がきちんと管理している。それでも外人観光客が9割を占めるといい,白人の若いカップルやわいわいと騒がしい中国系の観光客を遠めに見て,われわれはピックアップタクシーに乗り,公園の管理棟で許可を受けたあと,森林に入ってネットを振る。

 小さな島だというのに意外にもチョウが豊富である。山づたいに観光用のコテージが続く。山は日本の照葉樹林のような雰囲気で,同じように森林性のムラサキツバメの仲間などが飛んでいるのだが,かなり大形でびっくりしてしまう。飛方もすばやくて,ネットに入れるとタテハを採っているような手ごたえがある。ケンがキマダラルリツバメの仲間を採ったので驚いた。日本では絶滅危急種でアリと共生する珍しいチョウの仲間だ。オレもポイントを教えてもらい,粘って2頭採集する。ジャングルでは見なかったヒメシロチョウの仲間もいた。

 ケンと分かれて,道を進み,山すそでムラサキツバメやパピリオ属の採集を続けているうちに,海に出た。道の正面の岩場に人魚と王様の像が立っている。なんという美しいビーチだ。白人の金髪女性が海に入って戯れている。オレはネットを投げだし,水際まで近寄って,その海水を手にすくい,口に含んでみた。

       


 事務所に戻りながら,山道を見つけて少し登ったりした。おかげでシャツがしぼれるほど汗だくになり,土産物屋でTシャツを買って着替えようとケンを呼んだら,目の前に大形のルリジガバチが現れた。ネットを取りに戻るまでオレが追跡し,戻ったケンがネットに入れる。ギラギラのルリ色とエメラルドの金属光沢が目を射る。「今回最大の収穫はコレだ!」とケンがあまりにはしゃいでいたので,

「じゃ,Tシャツ代おごれよな」と,エレファント柄のTシャツ代金をせしめてしまった僕。

 帰り際に船着き場の土産物屋で,貝ののれんのような物を買った。約1mの木の棒に14本の糸がぶら下がっていて,それぞれに17個の貝が結び目にぶら下がっている。ということは全部で238個の貝殻が使われているのだが,これが220バーツ(660円)だ。値切る気も起こらず,新聞紙に無造作に丸めてくれたそれを,オレはサメット島の思い出にと大事に持ち帰った。わが家の娘たちの喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。


      



オレとタッちゃんの仕事


 
ふたたび熱狂のラヨーン・マーケットで買い出しし,コテージへ戻る。

 シャワーを浴びた後,今日はゴルフさんのスケッチ。ベランダに出てもらい、椅子に座ってもらう。しかしベランダにはわれわれの洗濯物が干してあったりして、柄パンなどがぶら下がっていて,あまりいい雰囲気じゃないんだけど。

 ゴルフさんは40歳とのことだが,最初はラーチンさんの娘さんかと思ったほど若く見える。しかしあのラーチンさんの運転にぴったり付いてオレたちをカオ・ソイ・ダオまで運んでくれたし,明日のバンコックまでの運転もお願いすることになっている。オレは女性の顔を描くのが好きだ。ゴルフさんは笑顔がとても魅力的だが,笑顔のままぴたっと時間を停止するのをモデルに強要するのは切ないので,ふつうの口元で、やや若さを殺した絵が完成した。

「彼女はタイ人だが、その時々で台湾や日本人のような素顔を感じるときがある。オオウチ,とてもよく描けているよ。ありがとう!」描き上げた絵を眺めながらラーチンさんが言った。

 次はタッちゃんの番だった。花屋のタッちゃんはフラワーアレンジを得意とし,その道具を持参していて,帰るまでにゴルフさんに教える約束をしていたのである。また,梅干し,インスタント味噌汁,イワシの角煮などを持参して、道中ラーチンさんやチャラン先生を喜ばせていたのだった。

「自分はねぇ,大内さん……」

 タッちゃんは自分のことをタッちゃんと言うんじゃなくて「自分」と言うのが常だ。

「今回,タイの人に何かしてあげたいと思ってねえ,これでもいろいろ考えてきたんすよ」

 さすがに4度目のタイともなるとやる事がちがう。コテージの管理人さんに許可をとり,タッちゃんは花壇の花を切り花にして集めてくると,ゴルフさんとともにみるみるうちに美しいフラワーアレンジを完成させた。


晩餐


 夕食の時間がやってきて,われわれは別棟の食堂に移動し,フラワーアレンジを食卓の中央に据えて,熱狂のラヨーン・マーケットで購入したお惣菜をテーブルに並べた。お手伝いのタイ人夫妻に指示しながら,ラーチンさんは蒸したカニを切り分けている。ガザミをもっこりと太らせたような形のカニはミソがたっぷり入っていて,カニつめも大きく繊細な白い肉をたっぷり含んでいる。チャラン先生の市場でのチョイスも鋭い。花の蕾のカレーを選んだり,アジの唐揚げを食べるときはこのハーブを使うのだ,と木の芽のような薬味までしっかり購入してきて,そしてこのソースにつけて食べるのだ,などど食事中にさりげなく説明を挿んでくれたりする。

         


(うーんどこまで深いんだ,タイ料理恐るべし……)

 感動しつつウィスキーソーダのピッチをあげるオレに,ギターを弾く余力を残しておけよ,とラーチンさんが目配せする。その夜は採集締めくくりの晩餐であったが,ちょうどS氏の誕生日でもあったのだ。

「オオウチ,ギターをやってくれ」

 歌が始まる。日本風バースデーソングから始まって,タッちゃんそっくりの「みなみらんぼう」や,「サザンオールスターズ」「かぐや姫」などなど,その夜は懐かし日本のニューミュージックを皆で大合唱。

 ところで,われわれの宴たけなわの頃,カセサ−ト大学の学生グループが,隣のコテージにバスで乗り込んで来てバーベキューとカラオケを始めたのだが,そのドデカイ音量と大騒ぎに驚いた。ケンに聞けば,あれはごく一般的なタイの若者の生態だという。とにかく野外宴会は大音響で延々朝までやることが多いらしいのだ。

 コテージに戻り,ベランダに出てタッちゃんやラーチンさんと夜風に当たる。ラーチンさんはオレの仕事のことや,家族構成のことなどをしきりに質問する。ろくな受け答えができないオレの返事を,ケンにいちいち英語で確認してうなずいたりしている。たぶん彼は、いろいろと仕事をこなすオレが,なぜ貧乏なアーティストに甘んじているのか,10年も海外旅行に行けなかったのか,不思議だったのだろう。

 
タッちゃんが今日の採集の成果を見せてくれた。野池のガムシや牧場の糞虫など,なかなかの品揃えだった。中に奇妙な形のクモがあり,それをスケッチさせてもらう。網戸にアトラスオオカブトの♀がやってきて,ふたたび燃え上がったタッちゃんは,ケンとネットを持って夜の中へ出ていった。

「最後の偵察だ!」

 明日は都会へ戻らねばならない。■










▲写真
1)くさい……がウマイ! ベランダで朝食にドリアンを
2)サメット島の寺院。船からサメット島を見る
3)サメット島の樹林
4)詩人Sunthorn Phu由来の王様と人魚の像。サメット島のビーチで
5)フラワーアレンジを指導中のタッちゃん
6)ラヨーン・マーケットで仕入れた材料で夕食。中央、花の蕾みのカレー
7)泊まったコテージと、お手伝いのご夫妻



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