チャトチャ・マーケット
早朝,荷物を車の屋根に縛りつけて出発。朝日が輝いている。お手伝いをしてくれた現地のご夫婦が合掌する。われわれも合掌して別れを告げる。このタイ人の挨拶の習慣は印象的である。ことに女性の合掌の姿は美しい。車が動きだす。ひょうきんなラーチンさんは,出発の時はいつもカーステレオで音楽を鳴らし,気分を盛り上げてくれるのだった。 最初は驚きだった車窓から見るタイの町並みや車の佇まいも,だんだん慣れて当たり前のものになってきた。それでも,遠くに水牛を使って耕している風景に出会ったり,遠くにエキゾチックな形の寺院の屋根が見えたりすると,嬉しくてついカメラを構えてしまう。今回,タイの仏教寺院や遺跡などとは無縁の旅だったが,ジャングルの民家で、道々の家屋で、プラプームと呼ばれるミニチュア寺院のようなものが庭先に立っているのを見かけた,一種の精霊信仰らしいが、そこにはお米や花が添えられているのだった。 持参した48ページの小型スケッチブックは,描くことが多すぎて,あと数枚を残すのみとなり,フィルムも予定の枚数をはるかにオーバーして,400枚を軽く超えた。S氏がたっぷり余分なフィルムを持ってきていたので,オレはそれをごっそり譲ってもらったのだ。 ドライブインで朝食。といってもこれがタイヌードルの店で,屋台のノリなのである。ビーフン(米粉)の麺だ。店先にガラスのショーケースがあって,そこに素材が並んでいる。注文すると具のかまぼこや野菜などの材料を丸いまな板で切り始め,寸胴鍋で麺とともに湯がく。それをどんぶりに入れ,スープをかけて出来上がり。奥の厨房ではなく,これを店先で演じるのだ。卓上には4つの調味料が登場し,これを各自好みで入れて行く。ナムプラプリック,乾燥一味トウガラシ,ビネガーの一種,それに白砂糖。パクチイやニンニクの揚げたものが載っていて,タイレモンの酸味がきいた味。麺のしこしこ感は日本人好みだ。皆は2杯目をお代りしはじめた。オレは置いてあるタイの新聞を眺める。タイ語の文字組やフォントの種類に興味が湧いたのだ。 緑地の向こうから高層ビルが近付いてきた。 ふたたびバンコックへ入る。喧噪の街へと車が入り込む。ラーチンさんは昔カーレースを趣味でやっていただけあって,スピードを出していても恐さをそれほど感じない。渋滞に巻き込まれると,前の車のナンバーを読み取り 「ヘイ,231番! おまえはいったいどっちへ行こうとしてるんだ」 などど叫びつつ,クイッとハンドルを切って抜き去り, 「よーし,お次は572番,しゅしゅしゅしゅっ,今度はお前の番だ!」 などとギャグを飛ばしながら車を走らせるのだった。 初日とおなじホテルに着いた。無事帰り付いたことにホッとするが,熱射と排気ガスと騒音の街に降り立って目眩も感じる。荷物を置いて,ラーチンさんと渡辺の案内で,いざ土産物の買い出しだ! ケンの薦めでチャトチャと呼ばれる大形観光マーケットへ。新しくできたばかりの高架電車に乗って行く。 チャトチャは以前は土日のみの定期市だったらしいが,今は観光客にも知られ,連日賑わう場所らしい。まるで日本のアメ横のような雰囲気だった。ちょうど昼時だったので,入り口近くの飯屋で昼食をとる。 ブタ肉のチャーシューを刻んだものと高菜の漬け物のようなものや香菜がたっぷりライスに乗っているランチ,これが25バーツ(日本円で約75円)だ。 それにしても暑い! 周りはバラックのような簡易テントのような建物の中に,小さな店がびっしりひしめき合い,冷房はなし。売り子も暑かろうと思うが,彼らは店の中に小さな扇風機を置いただけでにこにこしながら仕事をこなしている。 食後はラーチンさんと別行動になって歩く。まずはTシャツなどを物色する。1枚40バーツくらいから買える。娘たちのお土産に服をいくつか買い込んだ。それぞれ自由行動ということで,2手に分かれ,オレはケンとタッちゃんのあとについて行く。途中途中に屋台が出ていて,ココヤシにストローを差したジュースを売っているのを見つけた。これを前から飲んでみたかったのだ。 ヤシの実ジュースと白砂糖 表面の殻を焼いてあり,その一部を道具で割って,そこにストローを差してくれる。正真正銘,樹の実のナチュラルジュースだ。 「期待するほどのもんじゃないぜ」とケンは言っていたが,オレには非常に美味しく感じられた。ほんのり日本の竹を思い出させるような,爽やかな甘さだった。 ドリアンも,マンゴスチンも,バナナも,皆同じような程度の甘味を感じた。しかし,このような天然の果物が豊富でありながら,タイに限らず暑い地方では砂糖たっぷりにスキムミルクを入れたどろどろの極甘コーヒーなどを飲む人が多いのはなぜだろう? 菓子類も極甘のが多いのだ。果物より砂糖の方が安価で手っ取り早いからなのだろうか。 「甘味」は陰性であって身体を冷やす作用を持つ。「辛味」もまた陰性であり,熱帯の人々が果物や辛い料理を好むのは理に適っている。天与の産物であり食の知恵といえるだろう。だが人工的な白砂糖は舌を刺激するだけの甘味の塊で,カロリーはあっても天然の果物やスパイス・ハーブのような栄養素は含まれていない。しかも「極陰性」の食べ物だ。世界的な自然食・マクロビオティックの祖,桜沢如一の著書には,アフリカの現地人が難病で苦しむのを,砂糖を止めさせることで治して行く記述がある。桜沢特有のカタカナの多い文章だが抜き書きしてみよう。 <……ある日,私はオゴヴェ河の岸でジャングルのハズレにある一つの小屋の前を通りました。その時はその小屋の前に座っていた半身不随の老いたライ者によびとめられました。彼は30年も前からDr.シュヴァイツェル(筆者注,アフリカで黒人の医療伝道に従事しノーベル平和賞を受ける)を助けて働いていた土人です。10年前からライになり,入院患者の一人になってしまったのです。 ──先生,いったいなぜこんなに病人が増えるのですか? ことにライが? モー大先生 le grand docteur が治療を始めてから40年にもなるのに,病人は増えるばかりです。それに治療をうけたモノでも,また病気になるのです。……私の幼い頃にはコンナニ病人はいませんでした。…… ドーシタラわれわれは助かるのでしょう。ナゼわれわれはコンナニ苦しまなくてはならないのですか? 神様なんていないんですか? ──こんなに病人が増えてきたのは,ココ30年でしょう? ──その通りです。20年か30年のコトです。 ──こんなになったのは,砂糖やチョコレートや,コンデンスミルクが輸入され,ミナがソレを好んで,とりだしてからでしょう? ──まったくソーです。 ──実を言うと,砂糖が君たちの種族を滅ぼす最大の敵なんだ。白人は肉食者で含水炭素をわれわれのようにタクサンとらないので砂糖の害をタクサンはうけないけれど,君たちの主食,米や,マイスや,マニオクはミナわれわれのカラダの中で糖分になるのです。君たちは1日に1キロ以上もマニオクを食べるでしょう。それは糖分の最大限ギリギリなんです。そのうえ化学的な白い砂糖を食べたらモーおしまいです。白砂糖は米やマニオクの澱粉とまったくちがって,カラダに必要な無機塩類,鉱物質や,ビタミンや,蛋白や,脂肪を少しももっていない。白砂糖はわれわれの血液を酸性にするし,そしてわれわれの抵抗力を低下させるばかりか,そのうえ結核やその他の病因(コトニ,アノイリナーゼ──腸内でビタミンB1を食いつぶしてしまうもの)を繁殖させ,強力にする。砂糖と塩をここにおいてごらんなさい。アリや虫やイロイロな細菌は砂糖に引きつけられるが,塩にはよってこない。ソレと同じコトがカラダの中でも起こる。それに,われわれは汗や,小水で塩を毎日失います。君も塩が虫や細菌を殺すコトは知っているでしょう。塩はわれわれのカラダに大変必要なものです。ソレはビタミンより大切なモノです。君の病気だって砂糖を全廃しないかぎりケッシテ治らないのです。君は他のアフリカ人とちがって,早くからサトーをフンダンに用い,コーヒーや茶に砂糖を入れ、チョコレートやボンボンをたべる白人の生活になれていたでしょう。それがこの両足の病気のモトなんだ。…… 私の即興的な説明がヨクわかったかドーカ,彼はすぐサトーを全廃し,水分を極度にへらすコトを約束しました。そして次のような話をきかしてくれました。 ──先生の話で思い当たるフシがあります。ココから少し川上の大きな湖のホトリに住んでいる黒人の一種でライになるモノがほとんどいないのがあります。彼らはサトーをたべないし,塩を非常にタクサン用いるのです。……> (『東洋医学の哲学』桜沢如一/1973 ) 桜沢の陰陽理論によれば,砂糖のとりすぎによる陰性の病気は数多い。食品添加物なども極陰性だが,現代の成人病のほとんどが陰性過多の病気といってよいだろう。桜沢は食事指導だけで,インド,日本,アフリカで数百人のライ患者を治した経験があるという。 |