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ジャングルと海 Jungle and Sea 〜2001タイ採集紀行〜
文と絵:大内正伸 Masanobu Ohuchi



8日目「バンコックにて」
At the Bangkok


チャトチャ・マーケット

 早朝,荷物を車の屋根に縛りつけて出発。朝日が輝いている。お手伝いをしてくれた現地のご夫婦が合掌する。われわれも合掌して別れを告げる。このタイ人の挨拶の習慣は印象的である。ことに女性の合掌の姿は美しい。車が動きだす。ひょうきんなラーチンさんは,出発の時はいつもカーステレオで音楽を鳴らし,気分を盛り上げてくれるのだった。

 最初は驚きだった車窓から見るタイの町並みや車の佇まいも,だんだん慣れて当たり前のものになってきた。それでも,遠くに水牛を使って耕している風景に出会ったり,遠くにエキゾチックな形の寺院の屋根が見えたりすると,嬉しくてついカメラを構えてしまう。今回,タイの仏教寺院や遺跡などとは無縁の旅だったが,ジャングルの民家で、道々の家屋で、プラプームと呼ばれるミニチュア寺院のようなものが庭先に立っているのを見かけた,一種の精霊信仰らしいが、そこにはお米や花が添えられているのだった。

 持参した48ページの小型スケッチブックは,描くことが多すぎて,あと数枚を残すのみとなり,フィルムも予定の枚数をはるかにオーバーして,400枚を軽く超えた。S氏がたっぷり余分なフィルムを持ってきていたので,オレはそれをごっそり譲ってもらったのだ。

 ドライブインで朝食。といってもこれがタイヌードルの店で,屋台のノリなのである。ビーフン(米粉)の麺だ。店先にガラスのショーケースがあって,そこに素材が並んでいる。注文すると具のかまぼこや野菜などの材料を丸いまな板で切り始め,寸胴鍋で麺とともに湯がく。それをどんぶりに入れ,スープをかけて出来上がり。奥の厨房ではなく,これを店先で演じるのだ。卓上には4つの調味料が登場し,これを各自好みで入れて行く。ナムプラプリック,乾燥一味トウガラシ,ビネガーの一種,それに白砂糖。パクチイやニンニクの揚げたものが載っていて,タイレモンの酸味がきいた味。麺のしこしこ感は日本人好みだ。皆は2杯目をお代りしはじめた。オレは置いてあるタイの新聞を眺める。タイ語の文字組やフォントの種類に興味が湧いたのだ。

 緑地の向こうから高層ビルが近付いてきた。

         


 ふたたびバンコックへ入る。喧噪の街へと車が入り込む。ラーチンさんは昔カーレースを趣味でやっていただけあって,スピードを出していても恐さをそれほど感じない。渋滞に巻き込まれると,前の車のナンバーを読み取り

「ヘイ,231番! おまえはいったいどっちへ行こうとしてるんだ」
 などど叫びつつ,クイッとハンドルを切って抜き去り,

「よーし,お次は572番,しゅしゅしゅしゅっ,今度はお前の番だ!」
 などとギャグを飛ばしながら車を走らせるのだった。

 初日とおなじホテルに着いた。無事帰り付いたことにホッとするが,熱射と排気ガスと騒音の街に降り立って目眩も感じる。荷物を置いて,ラーチンさんと渡辺の案内で,いざ土産物の買い出しだ!

 ケンの薦めでチャトチャと呼ばれる大形観光マーケットへ。新しくできたばかりの高架電車に乗って行く。

 チャトチャは以前は土日のみの定期市だったらしいが,今は観光客にも知られ,連日賑わう場所らしい。まるで日本のアメ横のような雰囲気だった。ちょうど昼時だったので,入り口近くの飯屋で昼食をとる。

 ブタ肉のチャーシューを刻んだものと高菜の漬け物のようなものや香菜がたっぷりライスに乗っているランチ,これが25バーツ(日本円で約75円)だ。

 それにしても暑い! 周りはバラックのような簡易テントのような建物の中に,小さな店がびっしりひしめき合い,冷房はなし。売り子も暑かろうと思うが,彼らは店の中に小さな扇風機を置いただけでにこにこしながら仕事をこなしている。

 食後はラーチンさんと別行動になって歩く。まずはTシャツなどを物色する。1枚40バーツくらいから買える。娘たちのお土産に服をいくつか買い込んだ。それぞれ自由行動ということで,2手に分かれ,オレはケンとタッちゃんのあとについて行く。途中途中に屋台が出ていて,ココヤシにストローを差したジュースを売っているのを見つけた。これを前から飲んでみたかったのだ。


ヤシの実ジュースと白砂糖

 表面の殻を焼いてあり,その一部を道具で割って,そこにストローを差してくれる。正真正銘,樹の実のナチュラルジュースだ。

「期待するほどのもんじゃないぜ」とケンは言っていたが,オレには非常に美味しく感じられた。ほんのり日本の竹を思い出させるような,爽やかな甘さだった。

 

 ドリアンも,マンゴスチンも,バナナも,皆同じような程度の甘味を感じた。しかし,このような天然の果物が豊富でありながら,タイに限らず暑い地方では砂糖たっぷりにスキムミルクを入れたどろどろの極甘コーヒーなどを飲む人が多いのはなぜだろう? 菓子類も極甘のが多いのだ。果物より砂糖の方が安価で手っ取り早いからなのだろうか。

 「甘味」は陰性であって身体を冷やす作用を持つ。「辛味」もまた陰性であり,熱帯の人々が果物や辛い料理を好むのは理に適っている。天与の産物であり食の知恵といえるだろう。だが人工的な白砂糖は舌を刺激するだけの甘味の塊で,カロリーはあっても天然の果物やスパイス・ハーブのような栄養素は含まれていない。しかも「極陰性」の食べ物だ。世界的な自然食・マクロビオティックの祖,桜沢如一の著書には,アフリカの現地人が難病で苦しむのを,砂糖を止めさせることで治して行く記述がある。桜沢特有のカタカナの多い文章だが抜き書きしてみよう。

<……ある日,私はオゴヴェ河の岸でジャングルのハズレにある一つの小屋の前を通りました。その時はその小屋の前に座っていた半身不随の老いたライ者によびとめられました。彼は30年も前からDr.シュヴァイツェル(筆者注,アフリカで黒人の医療伝道に従事しノーベル平和賞を受ける)を助けて働いていた土人です。10年前からライになり,入院患者の一人になってしまったのです。

 ──先生,いったいなぜこんなに病人が増えるのですか? ことにライが? モー大先生 le grand docteur が治療を始めてから40年にもなるのに,病人は増えるばかりです。それに治療をうけたモノでも,また病気になるのです。……私の幼い頃にはコンナニ病人はいませんでした。……

 ドーシタラわれわれは助かるのでしょう。ナゼわれわれはコンナニ苦しまなくてはならないのですか? 神様なんていないんですか? 

 ──こんなに病人が増えてきたのは,ココ30年でしょう?

 ──その通りです。20年か30年のコトです。

 ──こんなになったのは,砂糖やチョコレートや,コンデンスミルクが輸入され,ミナがソレを好んで,とりだしてからでしょう?

 ──まったくソーです。

 ──実を言うと,砂糖が君たちの種族を滅ぼす最大の敵なんだ。白人は肉食者で含水炭素をわれわれのようにタクサンとらないので砂糖の害をタクサンはうけないけれど,君たちの主食,米や,マイスや,マニオクはミナわれわれのカラダの中で糖分になるのです。君たちは1日に1キロ以上もマニオクを食べるでしょう。それは糖分の最大限ギリギリなんです。そのうえ化学的な白い砂糖を食べたらモーおしまいです。白砂糖は米やマニオクの澱粉とまったくちがって,カラダに必要な無機塩類,鉱物質や,ビタミンや,蛋白や,脂肪を少しももっていない。白砂糖はわれわれの血液を酸性にするし,そしてわれわれの抵抗力を低下させるばかりか,そのうえ結核やその他の病因(コトニ,アノイリナーゼ──腸内でビタミンB1を食いつぶしてしまうもの)を繁殖させ,強力にする。砂糖と塩をここにおいてごらんなさい。アリや虫やイロイロな細菌は砂糖に引きつけられるが,塩にはよってこない。ソレと同じコトがカラダの中でも起こる。それに,われわれは汗や,小水で塩を毎日失います。君も塩が虫や細菌を殺すコトは知っているでしょう。塩はわれわれのカラダに大変必要なものです。ソレはビタミンより大切なモノです。君の病気だって砂糖を全廃しないかぎりケッシテ治らないのです。君は他のアフリカ人とちがって,早くからサトーをフンダンに用い,コーヒーや茶に砂糖を入れ、チョコレートやボンボンをたべる白人の生活になれていたでしょう。それがこの両足の病気のモトなんだ。……

 私の即興的な説明がヨクわかったかドーカ,彼はすぐサトーを全廃し,水分を極度にへらすコトを約束しました。そして次のような話をきかしてくれました。

 ──先生の話で思い当たるフシがあります。ココから少し川上の大きな湖のホトリに住んでいる黒人の一種でライになるモノがほとんどいないのがあります。彼らはサトーをたべないし,塩を非常にタクサン用いるのです。……>

(『東洋医学の哲学』桜沢如一/1973 )

 桜沢の陰陽理論によれば,砂糖のとりすぎによる陰性の病気は数多い。食品添加物なども極陰性だが,現代の成人病のほとんどが陰性過多の病気といってよいだろう。桜沢は食事指導だけで,インド,日本,アフリカで数百人のライ患者を治した経験があるという。

      



チャトチャの真実

 ケンとタッちゃんの後を付いて行くうちに,ここがとんでもないマーケットであることに気付いた。その広大さもさることながら,ペットショップ(?)・動物売りのコーナーがあり,犬からリスから小鳥から魚から,はたまたトカゲやヘビまで売っているのである。売り子がニシキヘビをショウケースから出してお客に触らせたりしているのだ。渡辺たちは前にも来ているらしく,その暗がりを飄々と歩いていく。うーっ,サソリまで売っていたぞ。

 熱帯魚のコーナーも豪華絢爛だ。鉢の中に水草が入っていて,中にグッピーみたいな極彩色の魚が日本の金魚のようにあたりまえに泳いでる。そうかここはタイなんだ! こんな飼いかたにも南の異国を感じるのであった。

 熱気と人ごみと,わけの分からない臭いとでクラクラしながら,いったん明るい外へ出ると,屋台(というかもっと小さな規模なので,天秤担ぎで移動している行商のようなもの)でおばさんがコオロギやバッタやカイコのさなぎやタガメを売っている。油で揚げたようなのから,茹でたようなものまで,てらてらと赤くバッタの腹部が光っている。虫が嫌いな人ならいっときたりとも正視できない光景だろう。写真を撮らせてもらっていると,若いタイ人女性がやってきて、カイコのさなぎを買っていった。彼女にとってはスナック菓子のような感覚なのか? オレも思いきってタガメの空揚げを買って食べてみることにした。1匹5バーツ,日本円で15円だった。おばさんが羽をむしり,胴を半分に切ってくれ,卵の入っているお尻の方から食べろという。ところがこれが,意外にもイケルのである。海岸で食べたカブトガニの卵の味によく似ているのだ。腕のついた胴のほうは,カニのような旨味がある。カメムシの仲間なので,ぞっとするような臭いでもあるかと思ったのだが。

 骨董や象の柄の織物や,銀の細工物,木彫りの人形など,触手が動いたが結局買わずじまいであった。集合時間となったので待ち合わせの駅にもどる。路上はものすごく暑い。通りには相変わらずゴーッと音をたてて車が行き交っている。S氏とTさんは骨董などの大物を買った様子である。帰りの高架電車の窓からチャトチャの全貌が見えた。小さな長屋根が海のように広がり波打っている。思っていたよりはるかに広大だ。ああ,迷わなくてヨカッタ! と思った。

 ホテルに戻り,小休止。情けない話だが,現代日本に生まれたヤワなわれわれには、アメリカンタイプのホテルは安住の地である。

「いやーっ,お湯だよ,お湯だよ,大内さん,いいっすねぇー風呂ってえー」

 同室のタッちゃんが浴室ではしゃいでいる。そういえば熱い湯舟に浸かるのは何日ぶりになるだろう。でもオレは日記の整理に忙しいのだ。まったく書くネタには困らないよ,ここは……。

 その後,夕刻まで時間が余ったので,オレはひとりタクシーで市内の寺院か美術館を見に行こうかと思ったが,万一のトラブルで皆に迷惑をかけるのを恐れ,近所のデパートの本屋へ行ったりした。オレには最初の海外旅行でパスポートをすられた苦い経験があるのだ。

 途中に花屋で足を止め,タッちゃんの解説を聴く。タッちゃんは花だけでなく,水性植物や微生物のことなど,ときにハッとするような専門知識を話すことがあって驚かされる。タッちゃんが英語をすらすら話せたら,チャラン先生ともっと高度な会話や議論ができ,さぞかし面白かったろうと思う。近くのコンビニでインスタントのタイヌードルやお菓子も買ってみた。これは軽くて安くて喜ばれるお土産なので,ケンたちの土産物の定番だという。タッちゃんもケンもしこたま買い込んでいる。S氏はホテル近くの骨董屋で古い壷を買ってきた。値切ったといいつつも結構な値段である。皆にブツを見せているうちに,

「こういうのは一番まがいものが多いらしいよ」
「ヤバイよ,ちょっと軽すぎるよこれ」
「最近,プラスチックの整形技術が発達してるらしいからナー」

 などと,さんざんなことを言われているのだった。


最後の宴

 いよいよ夜の宴会に出発。タイ最後の夜だ。ラーチンさんとチャラン先生が選んだのは,ホテルから歩いて10分くらいのシーフードレストラン。西洋で言えばビストロ,日本の大衆レストラン,といった風情だ。メニューはすべてタイ語。ラーチンさんとチャラン先生にお願いし,注文してもらう。

 乾杯の前にラーチンさんの挨拶があり,
「今回の旅を皆が楽しんでくれた様子で,本当に嬉しい。またいつでもタイに来たときは案内するから!」と言ってくれて,感動してしまった。

 オレは,次々とやってくるまたまた新たなタイのシーフードの深さに驚きつつも,ラーチンさんにちょっとはまともな英語で感謝の気持ちを表現しなければ,と思い、
「われわれ一行、最年長の65歳のTさんをはじめ,みなスタミナを温存して旅を終えることができたのも,ラーチンさんの手料理や,チャラン先生の優れたコーディネートのおかげです。運転もすばらしかった。本当に幸福な時間だった。ありがとう!」と言ったのだが,通じたかどうかは分からない。とにかく,カタコトでも言わずにはおれないほど,このお二方がこまやかな配慮をしてくれたのを感じていたのである。

 Tさんは肉は苦手で魚が好き,というので今回の旅はとくに食事が美味しく食べられたそうだ。南の旅は下痢に見舞われたりすることが多いらしいが,オレはぜんぜん平気だったし,食欲も落ちず毎度タイの食の深さの一端に触れて本当に感動させられた。このレストランも内装や食器などは決していいものではないが,料理はすばらしかった。海苔のような海草の入ったスープ,空芯菜の炒めもの,ブラッカポムの蒸し物も実に鮮やかな味だった。そして晩餐の極めつきは牡蠣だった。それも生牡蠣だ。

 日本でも,新潟で,網走で,丹後半島で,夏の牡蠣を食べたことがあるが,タイで生牡蠣に出会うとは夢にも思わなかった。殻のまま出され,自分たちで貝柱を切って殻を開け,そこに,揚げたニンニク少々と,マメ科(?)の葉っぱのハーブをちぎり,タイレモンを絞って,長さ8cm幅5cmはあろうかというぷりぷりと膨らんだ中身を一気にほおばるのだ。

「……ん……」
 とオレが声にもならない声を発し

「くぅーっっっっ! なんてミルキーで芳醇な味なんだっ!」とケンが叫ぶ。

 牡蠣の味わいに加えて薬味がすばらしい。チャラン先生はそのネムノキの萎んだような葉っぱのハーブを指でつまんでみせ、
「このハーブは牡蠣の旨さを引き出してくれるのだ」と言っている。木の新芽を摘んだものか? ちょっと苦いような舌に引っ掛かるような味だが,生牡蠣との相性はたしかに絶妙だ。人数分とったのだが,他のみんなは生食を恐れて遠慮しているので,オレとケンとで3個づつペロリと平らげてしまった。揚げニンニクのしゃりしゃり感,タイレモンの酸味,そしてハーブの苦味……。しかし,本来タイのシーフードの旬は秋だという。「いやぁ,いい店に当たったねえ」とケンに言ったら,

「阿呆! こんな店はバンコックにいくらでもあるのだ」と怒られてしまった。
 いやまったく,タイ料理恐るべし,なのである。

 満腹で外に出る。ホテルまでの帰り道,ラーチンさんはまたしても「ヘーイ,TS!」「S! 調子はどうだ?」などと叫んでる。オレは「ティングリー!」や「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」が出ないかなと期待しながら後をついていく。ホテルに戻り,ラウンジでコーヒーを飲みながら,皆で記念写真を撮ったりする。

 いよいよ明日は帰国。部屋に戻り,ビールの栓を抜いてタバコをくゆらしていると(この旅でオレはふだん吸わないタバコを再開することとなった),同室のタッちゃんが今回の感動をとつとつと語り始める。隣部屋のS,T両氏もやってきてそれに加わり,話はいつしか世界の昆虫採集の情報交換となり,やがて話は熱をおびて,それから深夜まで延々と虫談義が続いたのだ。

 ぎょえーっ,なんてみんな元気なんだ! 自然を深く理解しつつ虫採りに命をかけている3人の話を,オレは半ば呆れ,半ば感動しながら聞いていた。そして,オレのおごりで冷蔵庫のビールの栓を次々と抜くことになったのである。嗚呼……。■


         






▲写真
1)屋台の湯気の向こうに高層ビル。バンコックはエキサイティングな街だ

2)チャトチャの食堂で焼豚ライスを食べる
3)昆虫食専門の屋台。ここでタガメをゲット
4)かなり怪しい雰囲気のペット売り場。女性客も多い
5)日本のアカメのようなブラッカポム。白身で美味
6)ホテルのラウンジにて、左から筆者、チャラン先生、ケン



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