『ゆるり』Vol.2夏号(ダイヤモンド社/2003.7)



週末の達人「カヌー
イラスト・文/大内正伸







多摩川で、僕のカヌー初体験

 多摩川下流の調布あたり。駅でいうとJR南部線の「稲田堤」近く。ここは「京王閣」という競輪場に渡し船で人を運ぶ船着き場で、競輪開催日以外にも週末は解放され、市民の憩いの場になっている。カヌーの先生、江川寛さん(62歳)が、その年を感じさせぬきびきびした動きで近づいてきた。
「さあ、これに着替えてください」
 手渡されたのはウェットスーツ状の吊りズボンのようなものに、ナイロンのウィンドブレーカー、ライフジャケット。それにスプレイカバーと呼ばれる舟の開口部をふさぐスカート。メガネの外れ防止に専用のストラップ。使い込まれたギアに身を固めると、なんとなく安心して、無事に漕ぎ出せるような気がしてくるが、その前に陸上でパドルを漕ぐ練習をする。これから乗る舟は1人用のカヤックと呼ばれるタイプのもので、1本の棒の両端に板がついたパドルを用いる。手首の返しにコツがあり、ムダのないフォームをあらかじめ体で覚えておくのである。そしてカヤックの中に下半身を入れ、中でふんばる足の位置などを調整する。
 カヤックを水辺まで運び(軽いのに驚いた)、いよいよ進水。浮かんだカヌーを押さえておいてもらい、うまく体を舟の中に滑り込ませる。そして江川さんの指示で漕ぎ始める。








水鳥と友達になれる、カヌーの愉しみと「癒し」

 まず、漕いだ分だけ着実に舟が反応するという機敏さに、乗り物そのものの面白さを感じた。そしてすぐ間近に水面がある感覚がなんとも新鮮だ。
 大きな音がせず、動作も小さいためか、周囲の水鳥が逃げないのだった。中州で発見したキジに、数メートルまで近づくことができた。陸上では考えられないことである。また、すぐ目の前で大きなコイが跳ねて、にぶいウロコの輝きが目に残った。
 江川さんの動作を真似て、思いきりパドルを漕いでみると、ぐんぐんスピードが上がる。爽快である。カヌーには道がない。どこでも自由に、自分の意思で進んでいく快感もよかった。
「うまいね! 本当に初めてですか?」
 パドリングを江川さんに誉められてしまった。
 陸に上がり、お話をうかがった。江川さんがカヌーを始めたのは10年ほど前。横浜市の広報でみた2日間のカヌースクールに参加したのがきっかけ。現在は、そのときお世話になった「横浜カヌークラブ」に所属している。
「仲間との清流下りが楽しいですよ。舟の上で飲むお酒がまた美味しいんだ!」と少年のように語る江川さんだが、最近は大会にも積極的に参加している。各地でカヌーのタイムレースがひらかれており(江川さんは丹沢湖の大会で優勝経験もある)、また急流で技を競うカヌーでは、救護態勢がしっかりしているため、かえって技を覚えるのに最適とか。
「この、陸に上がった時間がまたいいのです」
 熱いコーヒーをいれながら江川さんが言う。たしかに、カヌーの上では常に小さな緊張に支配されているので、陸上での安堵が心地よいのだった。ふと見渡すと、いま自分が漕いだ軌跡がずいぶんと大きい。あの水面に自分が存在していたのかと思うと不思議でもあり、この大都会に舟が浮かぶ水面があることが新鮮でもあり、さざ波をたてる水の表情が美しく感じられてきた。
 僕も、今年からカヌーを始めることに決めた。




text & illustration by Masanobu Ohuchi




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