SHIZUKU 焚き火 SHIZUKU 食事

絵と文:大内正伸
写真:大内正伸+川本百合子

※雑誌『現代農業』に連載した「山暮らし再生プロジェクト」
('05.3〜'06.3)に加筆し、WEB用に再編したものです










1)ここなら存分に「焚き火」できるぞ!


ゆらめく炎の魅力

アトリエに遊びに来た人には、必ず炎を眺めてもらうことにしている。
穏やかな天気のいい日は外にある石を組んだカマドで、あるいは庭先で「ちびカマ君」に薪を燃やす。
火を囲むと、人はそれだけで和み、沈黙の時間も気にならず、ときに饒舌になる。炎はなぜか人を謙虚に正直にするようだ。
煙が回って目が痛くなり、飛び交う灰に衣服を汚すこともあるが、ほとんどの人がその時間に満足して帰っていく。

 ガスや電気や石油ストーブの熱源は調理や暖房の目的だけのためにあるのだが、
薪の火は別の価値がある。ゆらめく炎の美しさと、炎を囲んだ時のゆったりと流れる時間そのものがすばらしいのである。





 エネルギー革命以後、日常の煮炊きに薪を使う家はほとんど消滅した。
しかし僕らは引っ越し当初から薪火中心の炊事を続けており、
今後もこのスタイルは発展していくだろう。


人の感性を育てる火の効用

以前、炭やき復興の旗手である杉浦銀治先生にお会いしたとき「焚き火がすべての基本だ」という言葉に感銘を受けた。
たしかに焚き火には自然と人との関わりの原点がある。薪の準備、火興し、火勢の維持、煙や飛び火のよる火災への注意、
後始末と灰の処理に至るまで、焚火には曰く言いがたい加減が必要だ。
「焚き火が上手くできればなんでもできる」その人の火の扱いを見れば、性格や力量がわかってしまうほどのものである。

 かつての山村では、薪拾いは子供たちの当たり前の労働だった。
火傷や周囲への引火を防ぐために、常にカマドの周囲をきれいにする、
そんな注意も幼少から叩き込まれたことであろう。
火に関わる様々な労働が身体を鍛えたであろうし、このいささか面倒な火の扱いが、
細やかな感性を育てていたのではあるまいか。





現代の山事情を逆手にとって

僕らの集落ではかつてはスギの葉まで燃料用に出荷していたというが、
いま人工林の山には落下した枝葉が誰も持ち去ることないまま堆積している。スギの葉は焚き付けとして最適だし、
枝もカマドで調理するとき便利な薪である。雪折れの木、伐り置き間伐の材も運び出せればもちろんいい薪になる。

手入れ不足の山や休耕地は、いま焚き火素材の宝庫なのである。そして、
焚き火後の木灰を肥料として畑地に返せば、化石燃料を節約しながら山林と畑の復興も叶うというわけだ。

 炎を見つめながら鳥の声を聴いていると、テレビも音楽もいらない。
薪のストックがあると豊かな気分になる。それを、山はただ黙々と生産してくれるのだ。

現代版「焚き火物語」を紡いでみたい。











2)感動の食卓、最後の砦はいま山に

羽釜のご飯さえあれば

 物置状態の二階に、昔の羽釜をみつけた。昔のカマドはないけれど「ちびカマ君」がある。
それに網を載せてご飯を炊いてみた。水はもちろん山水。火加減など多少のテクニックがいるが、これが驚くほど旨い。
このご飯はなぜか保存性が良く、冷や飯を蒸し器で温めなおすと、まるで炊きたてのようにふっくらと美味しい。
このご飯は、寿司飯、粥、雑炊、茶漬けと、どう食べても素晴らしい味なのだ。





 味噌汁の出汁は削りたての鰹節でとる。
僕はかつてバイト先の乾物屋で鰹節説明チラシを作ったこともあるくらい鰹節を偏愛しているのだが、
その東京の店にネッ トで注文すると、翌日に鰹節が届いた。

山の水、本物の出汁、畑から直行した野菜、薪の火、これでつくる味噌汁が不味いはずがなく、
かくしてアトリエでは 最強のご飯と味噌汁を食べている。
さらに山では、季節ごとにかなりの種類の食材を得ることができるのだ。

四季を映す山の幸と共に

 春は花ワサビの三杯酢、ウドの天ぷら、菜の花のおひたしを楽しむ。
これらは麺類と組み合わせて食べることが多いが、茹で水、洗い水が良いから、麺料理も驚くほど美味しくなる。




初夏は梅の実(ジャム、梅干し、梅酒、梅酢)、クワの実を摘む。この季節は
果実酒と炭火で焼いた肉料理の組み合わせもいい。
夏の終わりからミョウガが出て、クリやクルミが採取できる。
キノコは近所から貰う椎茸を天日で干して保存したりしていたが、
もちろん自分たちで原木を伐り出して栽培する予定である。





 ここに来て最初の冬はカマドストーブ・マッキー君が活躍した。
乾豆で保存しておいた白インゲンをスパイスを効かせたシチューに、
小豆を甘く煮ておやつに。ストーブの火力は鍋や煮物に最適だ。
小麦粉を水で練ってピサ、餃子、チャパティ、お好み焼き、蒸しパン。天板が広いのでこんな料理にも向く。

 敷地にはお茶の木がたくさんあるが、クワ、カキ、ヨモギ、ドクダミ、と野草茶の材料も豊富だ。
月桂樹の葉のお茶もすてきである。軽く煎って熱湯 を注ぐだけ。菜園のハーブと組み合わせても楽しい。


囲炉裏を現代に甦らせる

二年目の冬は囲炉裏を再生した。囲炉裏は工夫次第で、ありとあらゆる調理ができる。
いや、囲炉裏にしかできない調理法というものが存在する。
たとえば灰に串刺しで肉や魚を焼く。脂が炎に落ちないのできれいな焦げ目ができ薫製の香りもつく。
灰の中に埋めてジャガイモやギンナンなどを焼くことができる。








強火から極弱火まで自由自在。ゴトクを使えばご飯も炊けるし中華鍋を振ることだってできる。
おでんなどを仕込むに最適の弱火を長時間保つのも容易い。
炎の料理から一転して炭火の料理に変えるのも簡単だし、
それを炉の中で両方同時に進行させることも可能である。

この囲炉裏、薪の消費量が驚くほど少なくて済む。これがまた嬉しい。
ツマヨウジほどの細い小枝だって立派な戦力になる。が、腕ほどに太い薪だって燃やせる。

囲炉裏がしみったれた懐古趣味の遊び道具におとしめられていることが残念でならない。
たしかに囲炉裏の炎を保つのは「焚き火初心者」には非常に難しい。そして時として煙い。だが、
薪の炎と炭と灰を自由にあやつることができるなら、
囲炉裏は「炉」の王者であると断言しよう。


さらに発酵・保存食が加われば

いま、調味料や香辛料などは質の高いものが入手できる。
輸送や冷蔵技術が発達したおかげで、どこでも鮮魚を食べられる時代になった。
さらにピチット(浸透圧の原理を利用した脱水シート)で処理し、冷蔵・冷凍保存すれば、
山に居ながら美味しい魚料理を食べ続けられる。

 魚をさばいて山の冷水で洗い、自然塩を振って炭火で焼き、
もぎたての柑橘と畑直行の薬味を添えれば、同じ素材とはいえ別の料理に昇華する。
ここではお金をかけずに、高級料亭以上の感動的な食卓を、日常楽しむことが可能なのだ。

 川も海もダメになったら、最後の砦は山しかない。
鮮烈な味わいの山菜、美味しい水、ふんだんにある薪や炭、空気がきれいだから食材を干したりするのも安心である。
そして畑には無農薬で森の堆肥・木灰を使った野菜がある。


お雑煮の味

囲炉裏を再生したその年の暮れに餅をついた。
臼は屋敷に転がっていた。が、杵が見当たらなかったので、ヒノキの間伐材で持ち手なしの
原始的な杵を作ってみた(ほら、月でウサギが使っているやつだよ)。




囲炉裏の燠炭でその餅を焼き、昆布と削りたて鰹節との出汁で、雑煮を作った。
ネギ、ニンジン、ダイコン、菜の花、は畑のもの(もちろん無農薬)。
仕上げ柚子皮。これが・・・
あっと驚くほど、旨い。
透明で、清らかで、力があって、旨味がふくよかで、全体に鮮烈で、感動がとめどなく、
食べているうちに涙がぽたぽたと落ちてきた。




水晶のような山の水。薪の火。手と、木のエネルギー。自然の野菜。
一椀に様々なものが重なり集結して、珠玉をもたらしている。
日本人が失ったものが
ここにある、と思った。


カビない餅

その餅を食べ続けて不思議な発見をした。1ヶ月以上経っても餅がカビないのである。
そういえば、ここでは冷やご飯も腐敗しにくい。
囲炉裏の燻しのせいで雑菌が少ないのかもしれず、
無垢の木と土壁による建築の調湿効果によるものかもしれない。

ということは、漬け物やどぶろくなど、善玉菌を使った食品加工に向いた空間なのではあるまいか。





「びっくりするほど美味しくはないけれど、ホッとする田舎のおばあちゃんの味」
などというトボケた形容で、山村の料理を紹介する都会記事があるなら、そんなものは笑い飛ばしてしまえ。

残念ながら、田舎のおばあちゃんが正しい調理をしているとは限らない。
多くは砂糖を使いすぎており、煮しめ過ぎており、化学調味料を知らず知らず使っており、
全体に見てくれを良しとする傾向があるのだ。

「ひょっとして、いま日本で一番美味なるものを食べているのは、僕らかもしれない」
山暮らしにはつきものの厳しい労働が、味をいっそう鮮やかにしていることも付け加えておこう。
その食事が肉体と精神に与える健やかな感覚を楽しんでいる。

僕らはさらなる食材の発見と、
畑作の進化と、発酵・保存食を勉強中である。■











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