『耕』2007年春号(No.112 山崎農業研究所)
特集「地球温暖化時代を生きる」へ寄稿したエッセイ

「地球温暖化と森林再生——森のある暮らしから」文:大内正伸



流域で感じた異変

 東京から山へ、群馬県の神流川流域で暮らし始めて3年目の春が過ぎた。ここは北関東の標高600mの地だが、最初の冬は思わぬ大雪で山の木々が折れた。ところが昨年の秋冬は異常に温かく、この春はフクジュソウもウメの開花も、例年よりも1ヶ月近くも早い。  

 その土地には固有の農事暦があり、古くからの住人はそれにしたがって作付けをする。さすがに昨年の温かさに成長の狂いが大きかったようで、夏の長雨も重なって、いつもは間違いなく出来るジャガイモや豆類の不作を耳にした。

 また、昨年からネズミが大発生しており、近所の町のホームセンターでは、ネズミ捕りの道具コーナーが設けられているほどである。イノシシやシカの被害は言わずもがな、ツキノワグマまで現れて、集落の回覧板には注意情報が回された。

 野生動物の異常行動は全国的な傾向のようで、環境省によれば、昨年4月から12月の間に人に危害を加えて捕獲・殺処分されたヒグマ、ツキノワグマの総数は4,615頭にも及び、過去30年間で最高を記録したという(『日本農業新聞』07.02.10)。


町でみる温暖化の原因

 これらの異常が地球規模の温暖化に起因するのか、それは今のところわからない。だが、私は取材で全国各地に出かける機会も多く、その途上で気温上昇の原因をまざまざと見せつけられる。

 町には車が多い。車は火を燃やしながらCO2を排気する機械である。朝の通勤時には車が渋滞をつくり、午後は主婦の買い物の車が行き交う。旅の移動のとき、深夜から明け方にかけて高速道路で大型トラックに囲まれ、これらが24時間明かりを煌々と灯すコンビニを支えていることを、あらためて思い知らされる。

 町をつなぐ国道にはバイパスが整備され、大型の郊外店が並ぶ。深夜までネオン看板を輝かせる。最近では、新たな町が一つ出現したかのような集合商業施設も現れた。

 それらを造るために、施設を維持するために、そしてそのような商業形態を続けていくために、CO2が放出され、廃熱され、また大型トラックによる物資輸送が必要となる。



写真1)筆者の住まい。築100年の養蚕民家を借りている。2)高崎にできた郊外型巨大マーケットの駐車場



クーラー常設の家

 道々の家にはクーラーがつけられており、その屋外機が醜い景観に輪をかけている。土や緑が減って、自然の涼風が吹くことがなくなった。かつて私も都会のアパート暮らしを経験したことがあるのでよくわかる。窓を開ければ隣のクーラーの排気が流れてくる。アスファルトの照り返しや自動車の排気も熱をおびている。窓を閉めて、クーラーで防衛せざるを得ないのだ。

 最近の家の構造そのものが、涼風を呼ぶような仕組みを失っている。調湿する自然素材が使われなくなり、軒の出が小さい。庭の空間が狭く、風をつくる工夫がないのである。


「緑の砂漠」の出現

 長く森林保全の活動をしている私は、日本の山林で砂漠化がおきていると言い続けてきた。スギ・ヒノキなどの人工林が手入れを放棄され、鳥瞰すれば緑の絨毯(じゅうたん)なのだが、林内に入れば草木がほとんど生えておらず、表土が流れて小石がごろごろしている場所がある。

 このような山林は、木の成長も悪く、保水力がなく、動物も住めず、土砂崩壊の危険があり、いいところは一つもない。

 竹林も雑木林も同様に放置されている。様々な生活道具を生み出す原料の竹は、いまではまったく使われなくなった。焚き物の資源としての雑木林も同様である。これらは私たちの生活形態の変化によって無用の長物となった。

 それらが平地かそれに近い場所にあれば、皆伐造成されて様々な施設に使われるという現象が起きているのだ。


崩壊の森にて

 先日、取材で三重県の旧宮川村(現・大台町)を訪れた。上流の大杉谷はかつて伊勢神宮の御造営に木材を出していた。その後薪炭林となり、戦後の拡大造林で人工林率8割を越えるスギ・ヒノキの山となった。その山々が、3年前(2004年)の台風で、7人の死者行方不明者を出すという土砂災害に見舞われたのだ。

 まだ山々が無傷だった2002年、私はこの地をNPOの活動で訪れ、地元の人の話を聞いたことがある。

「昔は広葉樹が多くて動物もキノコも豊かだった。ダムがなかった頃、アユやウナギがたくさん上がってきていた。細い間伐材数本で日当が出るほど木が貴重なものだったので、こぞってスギ.ヒノキを植えた」

 再び訪れた旧宮川村には工事用のダンプが行き交っており、いまだほとんど間伐されていない線香林の中に、土留めのためのコンクリート構造物がどんどん出来上がっている。それは悲しく、衝撃的な光景だった。

 この構造物は半永久に崩壊の安全を保証するものかもしれないが、コンクリートを被せた場所には、もう2度と木が生えることはない。土砂崩壊の爪痕の跡地に、新たな「砂漠」が出現したのである。



写真3)4)旧宮川村の崩壊跡。荒廃人工林そのままにコンクリート化が進む


神の森にて

 その帰り、近隣にある伊勢神宮の宮域林を訪れた。ここも宮川村と同じように神宮の御造営のため木材を伐り尽くした山だが、さらに江戸時代の「お伊勢参り」のお客のために、薪炭林として禿げ山になった。江戸から大正時代にかけて、伊勢の町は洪水が頻繁に起きていた。

 その森は大正7年の大水害をきっかけに造林計画が創られ、自然に生えた広葉樹を温存しながら、神宮の御造営の木材も自給できるよう、全面積の約半分はヒノキが植えられた。

 その施業はヒノキを早く太らせるために間伐を強度に行なうというもので、結果的に広葉樹との混交林になり、水源かん養機能もすばらしく、宮川村を襲った集中豪雨と同じクラスの台風にさえ、ビクともしない森になった。

 同じ条件から出発した森でも、人の手の加え方で、こうもちがってしまうのかと、旧宮川村の被災地を見た後で感じ入ったものである。



写真5)6)伊勢宮域林の豊かな林内。木漏れ陽が差し、ヒノキの下の広葉樹が茂る


砂漠の中の子供たち

 農地もまた、基盤整備で水の豊かさを失い、集約さを追求するあまり自然の土地とはかけ離れたものになっている。コウノトリやマガンと共存した水田、あるいはニホンミツバチと共存していた畑が消えた。

 集約的に水を管理すれば便利ではあるが、湧水が枯渇し、水系に生きる生物が消えていく。昔は平地にさえ湧水があり、そこには釣りや虫採りの子供たちが遊んでいたものだ。

 いま、インターネット・カフェやマンガ喫茶に集う子供らを非難できるだろうか。湧水の場所をアスファルトで塞ぎ、電気なくして成り立たないガラスとコンクリートの殿堂をつくり、そこに彼らを押し込めたのは私たちなのだ。


植林美談は正しいのか?

 とどまるところを知らない砂漠化(ガラス・コンクリート・アスファルト化)の中で、「緑の復活を」と植樹スペースを設けるところも出てきた。都市緑化、屋上緑化もその流れであろう。

 しかし、私には植林美談をセットにする「開発作戦」にしか見えない。実際に現地を訪れてみると、開発の規模に対して植樹のスペースがあまりにも少ないのだ。

 また、現地の自然の生態系をまったく破壊した後で植樹をしたとして、健全な森に復活するとは思えない。

 ホンモノの砂漠には、砂漠に適応した生物が棲んでいるものだ。そこには砂漠の長い年月に適応した生態系がある。しかし都市砂漠にはその「核」がない。

 むしろ開発スペースを最小限にとどめ、過去の自然と連続する場所(歴史的な記憶も含めて)を残していき、使っていき、そこから生み出されるもので、少しでも衣食住を自給すればよいのだ。


森の暮らしをいま都市へ

 日本の森は、効果的な手入れをすればそれに応えてくれる。だが、荒廃すればとんでもないしっぺ返しを食らう。地球上でも稀な気象条件にあるこの風土——雨と日照の多い(激しい)気候条件であるがゆえに、植物がよく育つ——を、その中で豊かに暮らす知恵を、いま多くの人が忘れ去ろうとしている。

 私のアトリエでは囲炉裏やカマドで薪を日常に使い、落ち葉でつくる堆肥と木灰を、畑の肥料としている。薪で焚くご飯や、畑の野菜は本当に美味しい。薪を得ることが森の健全化や自然農につながるのだが、その結果安定した水が得られる。美味しい水はまた料理をさらに美味しくする。

 森の暮らしには季節の味があり、匂いがある。鳥の声、虫の音、自然の音がある。野生の美がある。都市にはそれがない。

 インターネットや高性能の車、道路の整備のおかげで、山の暮らしは昔に比べてはるかに快適になり、都市の暮らしに近づいた。が、私は囲炉裏をやめようとは思わない。そこに深く計り知れない機能と喜びを感じるからだ。

 今度は都市砂漠が衣替えをして「森の暮らし」に近づくべき時だ。


山村に息吹を

 私がまだ山村に移り住む前の訪問のとき、旧宮川村ではこんな話も聞いていた。

「田舎には仕事がない、働きたいけど若者が留まる仕組みがない。このような山村で暮らそうと思ったら公務員(役場の職員か学校の先生)か土建業しかない」

 だとしたら、土砂崩壊の土木工事や、大型店舗の誘致が、地域にとって歓迎すべき事になってしまう。人が砂漠を作ることに真の喜びを見いだせるはずがない。

 町が森の暮らしに近づくと同時に、山村には「自然を良くすることでお金が動く仕組み」を創出しなければならないのだ(私はいま「自然親和型の高密度作業道」で林業を活性化させることが、その一つの鍵だと思っている)。

 そのとき、初めて温暖化が遠のくとともに、様々な問題が解決するのではなかろうか。■




※参考『神宮御杣山の変遷に関する研究』木村政生著(国書刊行会/2001年)、『現代農業』連載「崩れる林道 崩れない林道」大内正伸著(農文協/2006.9〜2007.9)





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