2011紀伊半島の台風12号被害は人災


 2011年(平成23年)8月末から9月初めに日本列島を襲った台風第12号は、広い範囲に大雨を降らせ、特に紀伊半島に大規模な土砂災害をもたらした。全国で土石流等92件、地すべり28件、崖崩れ82件が確認され(土木学会調査報告)、奈良・和歌山・三重の3県で土石流等58件、地すべり13件、崖崩れ50件となり、紀伊半島において最も土砂災害が多発。死者78名行方不明者16名という近年の台風では最大級の被害となった。

 崩壊箇所は、人工林の斜面が圧倒的に多く、誰の目にもその原因は明らかだが、報道は記録的豪雨と「深層崩壊」という言葉でこれを片付け、森林情況と人工林の手入れ不足という誘因にはまったくといっていいほど触れない。つまり責任の所在を宙ぶらりんにし、後は土木工事で幕引き・・・というまたしても実に都合の良い収め方である。

 紀伊半島の人工林問題については、在野の生物研究家として熊野に精通されていた後藤伸さんらが危機感を持ち、私などよりも早い時期から「巻き枯らし」による強度間伐・混交林化を推進しようと運動をされていたが、林野行政、研究者らはこれを黙殺し続けたのである。

 山と川を破壊し、多くの人命を失った今回の土砂災害に、林野関係者は誰一人責任を取らず、沈黙したまま。そしてまた、土木工事だけが大々的に行なわれようとしている。このままでは、今後も幾多の場所で同じ災害が繰り返され、その度に日本の山々がコンクリートで塗りたくられてしまうだろう。

 これまで人工林問題に関わってきた私はこの一連の流れを看過できない。今回の土砂災害について、森林や土木に不慣れな人にも解るように図説しながら、ここに見解をまとめておく。

                                              大内正伸



熊野の森の現状は?〜後藤伸さんの講演録から

 紀伊半島は急峻で深い谷が連続する。ほんらい伐ってはいけない原生的な照葉樹を伐採し、スギ・ヒノキを植えてしまった場所が、ものすごくたくさんある。強度間伐で混交林化していかないと大変なことになると、私は10年前から言い続けてきた

 今回、被害の多かった奈良県と和歌山県の人工林率(全森林面積に対してスギ・ヒノキ人工林の占める割合)はどちらも61%。そして三重は62%(全国平均は41%である。これでも多すぎるのだが・・・)。これはどういうことかというと、植えられるところはほぼ人工林化してしまった、というくらい紀伊半島は人工林だらけなのだ

 長年紀伊半島の山をフィールドワークしていた後藤伸さん(2003年逝去、同年第13回南方熊楠特別賞受賞)に言わせれば、


       


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「なにしろ、紀伊半島というのは大変な多雨地帯です。山そのものが雨に対応できるだけの、ほんとは山そのものの生態にそれだけの能力があったわけです。ただ、植林によってそれを完全に潰してしまって、やがてこれが、今言ったように何十年か先は山の崩壊という事態を招くことになるだろうと思っています。そのときまで我々はどうするのか。大変な問題ですよね」(2000〜2003年の講義より)

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 と、この事態を早くから予測していたのである。

 後藤伸さんの講演録『明日なき森〜カメムシ先生が熊野で語る』(熊野の森ネットワークいちいがしの会編2008)。ここに熊野の森の真実が深く語られいる。

 マスコミは「深層崩壊」などという概念を持ち出して、またしても森林の荒廃人工林を放置している間違いをスルーしている。また、記録的な大雨だから森林のせいではない、仕方がなかった、というような論調もあるようだ。本当にそうか? テレビや新聞では深層崩壊と呼ぶ崩れた断面の絵が映し出されたが、その始まりの亀裂をみると皆、根の浅い線香林ばかりである。もし、ここに樹齢300年以上の実生の広葉樹の巨大な根が刺さってネットワークを作っていたらどうであろうか。 

         
         


 広葉樹は深い根で斜面を支え、つなぎ止める。原生林は崩れにくく、保水力も極めて高いのは、この地中の大きな根が水を蓄えるからだ。一方で戦後植えられたスギ・ヒノキは根が浅く、とくに挿し木苗から育ったものは直根がない。保水力も土を捉える力もないうえに、間伐の遅れた荒廃林は林内に草木が消え、表土を流している。

 それだけではない。後藤伸さんも指摘しているが、このような荒廃林は常に「乾燥している」のだ。根に保水力がない上に、林床に他の植物がない、いわゆる「緑の砂漠」状態だ。これはどういうことかというと、普段は水分の少ない軽い土だが、いったん大雨が降れば急に土が水を含んで重くなる、ということだ。大きな土圧がかかり、滑り面から大きく崩壊する危険が増えるということだ。私は四万十式作業道の取材で、地山というのはすべて硬いものではないことを知った。豆腐のように柔らかい、水を含みやすい土が、スギヒノキの浅い根の下に隠れていることがある。

 では後藤さんの講演録から、昔の照葉樹林がどれほどすばらしいものだったか見てみよう。


       


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 とくに「ブナ林がすばらしい」て盛んに今言うでしょ。さらに、「ブナはこんなに水を貯めて、こんなに吸う」て言いますね、それを見たら、「ああホントにブナ林のほうがええんかな」て思うんです。

 何故ブナ林がええかて言うと、日本には原生林の状態のブナ林があるんですよ。原生林だから、ちゃんと水を蓄える力が大きいんです。しかし、常緑樹の原生林があったら、これはブナ林よりはるかに水を蓄える力ずっと大きいんです。ただ、残念ながら、そういう原生林はもう伐ってしもたからないんです。だから、那智の滝の端のほうにある森林とか、大塔の奥のほうにある森林がもし全部伐られないでちゃんと源流まで残ってたら、森の保水力なんてそら桁違いのもんになってるんです。(185ページ)。

(一晩に)200ミリ300ミリの雨では、本当の照葉樹のまともな森林があったら何も怖いことはない。水害のもとにはならんのです。

 そういうことを思ったら、やっぱりブナ林よりも照葉樹のほうがはるかに保水力が大きいです。ていうのは、もともと照葉樹林ていうのは、そういう雨の多いところでは発達した森林ですから、そういう大雨に耐えるようにできとるんです(186ページ)。

 ひとつの台風で3000ミリも降ったことあるんです。3000ミリいうたら3メートルやで。どこかというと大台ケ原です。紀伊半島中央部の雨は全部紀ノ川と熊野川へ流れてくる。みな、和歌山県です。だから、和歌山県というのは大雨に関しては自慢できる。それをはたへ置いて、「これは記録的な大雨や」というレベルのもんではない。

 もちろん家も浸かるし、いろいろあるんやで。大雨が洪水になることは間違いないけど、それが必ず災害につながるということではない。どんなに大量の水であっても、水だけではそんなに大きな力はないんですよ。水には流す力はあるけれども、壊す力はない。このへんだけしっかりと頭に入れておいてほしいんです。(256ページ)


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 後藤さんに言わせると、しっかりした照葉樹があれば、大雨が降っても濁るのは最初だけで、あとは澄んでくるという。水量は増すけれども破壊力のある水流ではないという。これは伊勢神宮宮域林の前営林部長、木村政生さんも五十鈴川について同じことを言っていた。

 次いで土石流とその対策について。


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 次に、どんな仕組みで大雨が土石流を引き起こすかについてお話します。護摩壇山などの紀伊半島の高い山で大雨が降っても、普通の自然林だったら問題はない。崩れてもたかが知れています。

 ところが、植林となると、根が浅くしか入ってないけど絡み合って板状になっているから普通の雨ではなかなか崩れんのです。水は地中に染み込まず、その表面をさっと流れてしまいます。大雨が降ったらすぐに川の水がどっと出て、すぐ水がなくなるのはそのためです。

 しかし、これが1週間にわたって毎日50ミリとか100ミリの雨が降ってここにじわじわと染み込んでくると、しまいに根の下を水が流れるようになるんです。そうして、最後のとどめ一発の500ミリというような大雨が降ったとしたら、これがそのまま滑るんです。これがそのまま滑って、土砂で谷をペタッと止めてしまう。そしたら、その奥にダムができるんです。この水がやがて押してきて、この崩れてきた石と水を木材なんかをみんな押し出すわけです。これが土石流です。(256〜7ページ)

 いちばんの問題は、今言ったように根が土の中で板になる。平地に生えていればいいけれども、これが傾斜地で根の下を水が流れたらおしまいです。全部、山の斜面が滑りますから。

 それじゃなぜ滑らないかというと、前に伐った広葉樹の株がわずかでも生きているからです。上は伐っているけど、ちゃんとカシの木は生きているから一応滑るのだけは止まっている。しかし、これもいつまでもはもたない。やがて、植えた木が太くなれば太くなるほど滑りやすくなる。つまり、大きな成木が滑るんです。山が裸になったから滑るのではないんです。

 だから、滑らないように、まず植林の間に根が縦に深く入る広葉樹と混ぜることが大事です。カシやその仲間は伐ってもまた芽を出すように株が生きているんです。だから、隙間を開けて下にカシ類が生きていけるようにすれば山の崩壊は防げるんです。(219ページ)


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 まさに、間伐遅れで下草や中層木がなくなった荒廃林が危険であり、それを解決するには人工林に隙間を開けて(強度間伐によって)カシ類の再生を図るのが大切であると、後藤さんは述べられているのだ。

  

私の見た熊野の森〜図解・間伐遅れとは何か

 では実際に、私が撮影した紀伊半島の人工林の写真をお見せしよう。


        


 熊野本宮の近くである。近づいてみると。


        


 どうやら道路工事で山を切ったらしい。おかげで線香林(細い線香が立つような姿からそう呼ばれる)の中が丸見えである。細い幹の上に青い葉の枝がついている。これは枝打ちしたわけではなく、間伐遅れで放置して光が入らないので下から枝が枯れていき、自然にこうなってしまったのである。撮影時は5月下旬だというのに、暗い林床の奥は草が生えておらず、土が露出しているのが分かる。さらに近づいてみる。


        


 この森を模式図で描くとこうなっている。


        


 最初の写真の森は、工事で左側の木を取り去ったので、中の様子が見えるのだが、それがなければ、外見は緑の山にしか見えない。ここが、一般の人には解らないからくりの一つなのだ。1本を取り出してみると。


       


 こうなると木が太れないし、風雪害で折れやすい。緑の葉っぱの量が少なすぎるのだ。このような樹形では、根っこも浅く小さいのは容易に想像つくだろう。

 どうしてこうなってしまうのだろうか? 最初、植林した時は全体に陽が当たるので草も生えてくる。とこが生長にしたがって葉が触れ合ってくるので間引いてやらないといけないのだ。この作業を「間伐」という。


       


 この時点で思い切った間伐を施さねばならない。すると、下の図のように変化していく。植えた木の本数は減るが、そのぶん太く育ち強い木ができる。きちんと間伐すれば、やがて間にカシ類など広葉樹が自然に生え、育つ。これは植えるとか、その後の手入れを継続するとか、そんな手間は必要ない。「うまく伐るだけ」なのだ。後は自然が育ててくれる。


       
 



 
ここで間伐を怠ると最初にお見せした図のようになってしまう↓。


       

      
 
今回の土砂災害の最大の原因は、この異常な森林形態にある。崩れることがなくても、風で倒れることもある。下はやはり熊野で撮った台風被害の倒木の写真である。


      

 荒廃人工林を放置すれば細いままの木が密集し、台風や大雪などで大規模な倒木被害をもたらすことも多い。こうなると「荒廃」を通り越して「破壊」である。もはや木材としての収穫もできない。これらの人工林は、ここまで成長するまでに地拵え・植え付け・下刈り・・・という手間だけで大変な労力を経て生まれたものだ。それが一瞬にして破壊され、水泡に帰してしまうのだ。

(ただし、これは自然の斧による強度間伐であるから、環境的には健全な森に戻るきっかけになる) 

 また、崩れた場合は、下の写真のようにコンクリートで土木処理されることになる。これも私が熊野で撮った写真だ。しかし、世界遺産「熊野古道」の近くがこれでは、悲しい・・・。 それにしても、工事してから何年か経っているのだが、上の荒廃人工林は一向に間伐された気配がない。土木工事は優先されるが山の手入れは後回しということらしい。


        


 人工林は植えっぱなしではいけないのだ。伐り捨ててでもきちんと間伐をしないと、いずれ山を破壊することになりかねない。間伐する・しない、で山の将来は大きく明暗を分けることになる。


     


 
このときの伐り方が大切で、多くのケースでは本数を伐りきれていない。間伐が弱すぎる。山は常に成長しているのでまたすぐに暗い人工林に戻ってしまうのだ。また、伐り捨てた間伐材は、枝払いや玉伐りをして地面に並べたりすると、かえって大雨のときに滑って川を塞き止めることになる。だから枝付きのままにして、重なったまま散乱させておいたほうがよい。そのほうが作業効率がいいし、シカなどの獣害も防げる。しかし現実には、弱い間伐をした上に、丁寧に丸太を並べたりしている例が多い。

 
後藤さんの話を続けよう。


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 結局、こういう山の生態系のつながりというのは「原因」と「結果」の間に20年とか30年とかいう長い時間がかかるわけです。さっき言いましたように、こと山の斜面の崩壊、いわゆる土石流をつくって大変な被害を及ぼすような原因と結果の間には60年とか80年の時間がかかってしまうのです。

 だから、昭和35(1960)年以降の植林はすべきではなかったんです。ええところはすでに全部植えとったんです。昔は、植林によくないところは全部自然林で残しておったんです。山のてっぺんなんか全部自然林を残した。そしたら、下は何回伐ってもスギ・ヒノキができるんです。そういうのは、もう紀州では伝統として分かっていた。そういうことは、働く人も山の持ち主もみんな分かっていたんです。それをなにか強引に森林組合をつくり、公団造林というような団体をつくって強引に植林をした。そうした森林は、全部、植林するべきところではなかったんです。

 今、植えてから50年くらいですね。ほんとは、電柱よりも太いスギやヒノキができてなければならんのです。ところが、いまだにこんな木でしかない。中には、尾根なんか腕ほどの木しかない。何年経っても垂木にしかならない。僕はこれを「万年垂木」と言うんですけれど・・・。だから、50年経ったスギが1本100円とかで、大根のほうがいい値がします。おまけに伐ったらその中に虫が入っていて柱にしたら折れてしまう・・・。(219〜220ページ)

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 そして後藤さんらはこのような荒廃した人工林を、ボランティアでも取り組むことのできる「巻き枯らし」で再生させようと運動を起したわけである。


広葉樹の根と人工林の根はこんなにちがう!

 奈良公園には近隣の春日山原始林にある樹種が育っている。


          


 これはスダジイだが、公園のシカが地面を草を食んでほじるため根っこがよく観察できる。広く強靭な根の張りが解るだろう。紀伊半島の原生林は本来このような樹に覆われていたのである。

 
一方、下の写真は京都山中のスギ人工林である。間伐が遅れた典型的な荒廃林で、道際の木は雪折れで頭が飛んでいるのが見える。奥の方は下草がまったくない。これは林内が暗くて草が生えないのだ。


       

 ではこのようなスギの木の根っこはどうなっているのか? 下は雪で根っこごと倒れた木の写真である。赤丸が根だ。まるで耳かきの棒のようではないか(笑)。これは「挿し木苗の植林木」であることも大きな要因だ。ともあれ荒廃人工林の支持力のなさが解るだろう。


       


巨樹の枯れ根と放置人工林のコンビが土砂崩壊を誘発

 ここまで本来の紀伊半島の植生とその保水力・土砂を止める緊縛力、荒廃人工林の実態、それぞれの根のちがいについて見てきた。ここでさらに、「原生林を伐採して人工林化し、それを放置したときの危険」について考えてみる。

 荒廃スギと原生スダジイを模式図は下のようなイメージだ。


       


 原生スダジイを伐採すると切り株からひこばえ(※)が生えたり、明るいので自然に実生の木が育ってくる。紀伊半島は高温多湿なので速いスピードで森が回復する。

※ひこばえ:萌芽ともいい、広葉樹の切り株から新しい芽が自然に生えてくること。針葉樹ではひこばえは出てこない

       


 ところがここにスギ・ヒノキを植林すると、植えた木を育てるために下草刈りが毎年徹底して行なわれる。つまりひこばえも切られ、自然に生えてきた広葉樹も切られる。


       


 そうして間伐が必要な時期に放置されると林内は暗くなり、下草はまったく生えなくなり、スダジイの切り株も死んでしまう。



       


 死んだ切り株は土を掴む力を失い、長い年月をかけて収縮し、地面にすき間を造る。そうして豪雨のとき土砂崩壊を誘発する。土砂崩壊は「水」が大きく作用する。生きた大樹の根には水分が豊潤に含まれる。これが荒廃人工林に変わると貧弱な根の連続となり、極めて乾燥した斜面となる。大樹の多い原生林は常に地中の水分が飽和状態にあるので豪雨時もそれほど土の重量は変わらない。しかし荒廃人工林の場合は一気に水を含み、土塊が重量を持つ。そこに死んだ巨樹の亀裂があば、豪雨の際のすべり面となりうる。


                


 これは、これまで誰も指摘したことのない私独自の推論であるが、原生的な奥山を人工林に変えた山では、今後土砂崩壊の大きな原因になっていくのではないかと思う。



 植林しないで伐採放置すれば自然の木が育って切り株のすき間を補完していく(下写真は熊野における人工林伐採後の自然再生林。奥に荒廃人工林が見える)。植林してもきちんと間伐が行なわれたなら、間に実生の広葉樹が育ち、やはり山は守られる。現在の山林崩壊の多くは、植林したがための、その木の手入れを怠ったがゆえの結末なのである。


         


 今回の紀伊半島の崩壊は異常な豪雨による「深層崩壊」で森の状態は関係ないとされているが本当にそうか? このような豪雨は数百年のうちに何度かあったはずだ。もし深層崩壊が繰り返されているなら若いハマグリ形の崩壊地形(ガレ場)が随所に見られるはずであり、そこには原生林は育たない。

 崩れているのは荒廃人工林の場所が大変多いが、そににむかし樹齢数百年という原生林があったなら、その場所はずっと長いあいだ崩れていなかったことの証明ではないか。

 ちなみに、原生林に下草が少ないのと、荒廃人工林に下草が見られないのは意味がまったくちがう。これを同じだと言っているバカがいるがとんでもないまちがいだ。


深層崩壊とは何か?

 最後に、今回の紀伊半島台風被害でクローズアップされた「深層崩壊」という概念について疑問を呈しておく。深層崩壊という言葉がマスコミに表面化したのは、2010年6月のテレビ番組「NHKスペシャル」が前年の台湾南部の集中豪雨(村ごとのみ込まれて500人が死亡した巨大土砂崩れ)を「深層崩壊が日本を襲う」と題して放映したことに始まる。

 深層崩壊という言葉は表層崩壊に対置するものとして昔からあったが、これまでほとんど使われない言葉であった。大崩壊の場合は「地すべり」であり、表現としては「岩盤地すべり」なのか「層すべり」なのか、そしてすべり面の地質は何何である、と表現していたものである。

 それが、紀伊半島台風被害以降、学会もマスコミも「深層崩壊」という言葉を煩雑に使い出し、国交省などはにわかに深層崩壊の分布地図などを公開し始めたのである。


 この「深層崩壊」というのは実に都合のよい言葉で、これを原因とすれば森林の状態などおかまいなしに土砂崩れを論じられ、大規模な土木工事を創出することができる。地すべり地帯でないところでも大掛かりな地すべり防止工事(下図参照)が行なえるわけで、ダム工事なども縮小化して仕事待ちのゼネコンには好都合な流れなのだ。

 
2012年2/18の京大防災研究所で開催された「深層崩壊に関する研究集会」を傍聴した人のレポートによると、崩壊深度がわずか2mの例を発表したり、発表者自身が深層崩壊の定義を求めているというレベルの、実に曖昧で混沌としたものだったそうだ。


      



      



      


※上3枚は群馬県「譲原地すべり資料館」内のパネルより。

 



  



       

※上2枚は奈良県「春日山原始林」(撮影2012.4.15)




2013年1月27日「熊野の森ネットワーク・いちいがしの会」主催の講演会
和歌山県・南紀熊野の上富田町文化会館
大内正伸氏講演「森の間伐と囲炉裏の暮らし」



▼URL
http://youtu.be/E0JGYfe_H6s

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2013年5月、紀伊半島豪雨の崩壊地を調査しました。熊野古道の要所として有名な滝尻大崩壊地の山林調査を映像化したものをYou Tubeにアップしました。

「紀伊半島豪雨/滝尻崩壊地の林相を調査する」
▼URL
http://youtu.be/r_7HiZUWDyo


その後も継続して調査・聞き取りなどを続けています。ブログ「神流アトリエ日記(3)」をご覧下さい(記事カテゴリー/熊野)。
http://sun.ap.teacup.com/applet/tamarin/msgcate24/archive





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