★健全な森林空間を取り戻し、良質の材を生み出す環境保全型間伐・育林法の開発・普及が評価され、鋸谷茂氏が第29回「山崎記念農業賞」を受賞された。マニュアル化・普及に貢献したとして私(大内)も特記事項として紹介され、藤森隆郎氏(日本森林技術協会顧問)からお祝いのメッセージを頂いた。受賞式の会場で行なわれた「記念フォーラム/国民の森林づくり:その目的と技法を問う」において、山本千秋氏(元森林総合研所。財・林業科学技術振興所/東京林業研究会代表)、受賞者の鋸谷氏(福井県坂井農総合事務所主任、林業改良指導員)らと講演を行なった。山崎農研会報『耕』No.102に掲載された当時の講演録をここに紹介する。


大内正伸『鋸谷式間伐法の革新性、森林との新しい出会い:桜山きづきの森の経験/2004.7.03』於:東京四谷「太陽コンサルタンツ会議室」での講演から




第1章「鋸谷式新間伐法の革新性」

1)なぜ林業の本を書くことになったのか?
 一介のイラストレーターが林業技術書を書くまでに至った経緯を、まず書いておこうと思う。茨城の水戸に生まれ育った僕は、もともと昆虫少年だった。とくにチョウの採集を高校時代まで続けていて、最後は県北の山(標高800m程度)で通称ゼフィルスと呼ばれるミドリシジミの類を追い求めていた。ゼフィルスは「森の宝石」とも称され、森林をすみかとする美しいチョウの一群だが、その思い出の森が伐られてしまった。そこは昆虫の宝庫で樹種の豊かな森だったのだが、その多くはスギ・ヒノキの植林地に変ってしまったのだ。 
 大学時代は東北の山岳渓流でイワナを釣りまくったものである。ブナの原生林の中で、天然無垢の美しい魚たちと戯れた。東京に出て社会人になってからは、山登りにのめり込んだ。南北アルプスをテント縦走し、亜高山のオオシラビソの森や、森林限界のハイマツや高山植物を見、それを手描きのイラスト紀行にまとめたりした。
 僕が夢中になった楽しみの源流にはいつも森があった。チョウの森への追憶、それが僕の活動の原点である。

 
  
高校時代に採ったミドリシジミの標本


2)時代はここに
 そんなアウトドア遊びが一段落した頃、目の前に再び森が現れたのだった。きっかけは植林だった。友人が森林ボランティアグループでスギ林の間伐や枝打ちをやっていて、それに誘われたこともあるが、人工林を嫌悪していた僕は、最初それをかたくなに拒んでいた。しかし「植林」と聞いて行ってみようと思った。場所は東京の青梅、1996年のことである。その森づくりの体験に爽やかな感動があり、新たな鉱脈に出会った思いがした。地下足袋を履いてクワを振るう女子大生を見て、ハンマーで頭を殴られた感じがしたのだ。
 それからというもの、定期的に西多摩の山に通うようになり、自前でナタ、ノコ、カマを揃えて様々なボランティアの会を行き来し、人工林の手入れを手伝いながら林業を学んでいった。自分でも「未来樹2001」という会を立ち上げ、森や林業施設の見学の旅を組織していった。新しい時代がここにあると直感したからだ。
 林業の周辺を探るにつれ、これだけアウトドアの経験を積んでいながら、スギ・ヒノキ人工林についてまったく知らなかった自分に愕然としたものである。そして、未来樹2001の活動で全国を回りながら、様々な林業関係者の話を聞くたびに、お先真っ暗の林業の現実に暗澹たる思いにさせられた。また、森林形態として、実に不自然な人工林の姿、林業の施業方法にすっきりしないものを感じ始めていた。


3)「山は畑ではない」と初めて聞いた
 そんなとき四国での出会いが訪れた。1999年8月、高知県の大川村で行われた「森林と市民を結ぶ全国の集い」で、鋸谷茂さんに初めてお会いした。鋸谷さんは福井県の林務職で一参加者だったのだが、僕はたまたま同室で、宿で皆で車座になってしゃべっているとき、彼の口から瞠目すべき話を聞いたのだ。


            
             
四国で鋸谷さんに出会ったときのスケッチメモ


 まず胸に響いたのは「山は畑ではない」という鋸谷さんの一言だった。林業関係者の口からは、いつも「山は木の畑だ」と聞かされていたからである。その反対を堂々と言ってのける林業家に初めて出会ったのだ。次いで鋸谷さんは「人工林の中の広葉樹の重要性」を説いた。これも初めて聞いた話だったが、僕としては大いに納得できる話だった。そんな理想的な人工林施業をしているとことが日本にもあり、それが「伊勢神宮の宮域林」だということも聞いた。雪折れ指数の「形状比」、線香林を救う「巻き枯し」、どれも目からウロコが落ちる話だったが、その内容は理論的で明解だった。翌年、鋸谷さんの山を福井まで見に行き、その現場を確かめた。
 林業になぜ打開策がないのか? ではなくて、そもそも林業とは「常に儲かる仕事ではない」のであり、現在の人工林の森林形態そのものが異常だったのである。山は畑ではない。森はもっと精妙なもの。ひとつの山からできるだけ多くの木材を収穫しようと、過密な人工林をつくり出し、それがあたかも普通の姿であるかのように、僕らは勘違いしていたのだ。そう考えれば、いままでのもやもやとした疑問は、すべて氷解するのだった。


  
  
間伐遅れの山(左)と人工林の理想型(右)(『図解 これならできる山づくり』より。以下同)

         

4)鋸谷式間伐・育林法の特徴と革新性
 いくらすばらしい理論でも、実践が伴わなければそれは無に等しい。しかし、鋸谷さんの実践はまた、アイデアにあふれた画期的なものだった。その特徴をあげてみよう。
 限界成立本数と形状比=鋸谷さんの理論の核心であり、日本の林業に根本的に欠けている考え方である。単位面積当りに成立できる太さと本数には相関関係があり、ぎゅうぎゅう詰めの森では木が太れない。そんな木は風雪害を受けやすいが、これも樹高÷胸高直径=形状比という数値で推し量れる。福井県でおきた56豪雪の被害木調査で、形状比70以下では極端に被害が少ないという結果が出た。この調査には鋸谷さん自身も参加している。
 釣り竿を使った密度管理(樹高測定もできる)=限界成立本数と形状比そして樹冠占有率という考え方から、胸高直径ごとの林内密度が導かれる。これを、現場で使えるものにしたのが4mの釣り竿である。この「密度管理竿」で、胸高直径ごとの半径4m以内の円内本数を常に確かめていけば、密度管理も実に簡単である。いままでの間伐本数というものは、2割3割を現場で目見当で行っていたもので、よりどころのない曖昧なものであった。密度管理竿は樹高測定にも使え、振出し式の釣り竿で自作すれば、携帯にも便利である。


              
               
密度管理竿の使い方


 子供でもできる巻き枯し=形状比85以上の線香林は強度間伐には不向きである。残した木が風雪害にやられてしまう危険がある。そこで間伐で伐倒すべき木を立ち枯れにして、枝葉を枯れ落して空間をつくり、間伐と同じ効果をつくりだす。枯れた木は生きた木の支えにもなり、強度の間伐でありながら、線香林の風雪害を回避することができる。倒さないので作業上の危険もない。子供たちの環境教育にも最適な方法である。

    
    
巻き枯らしの方法


 見栄えよりも機能=いまだ多くの地域で、切り捨て間伐にも関わらず、玉伐り・枝払い・集積をやっている(やらされている)所がある。見栄えはいいが、環境のためには無意味であり、労力のムダ以外のなにものでもない。間伐材の収穫にこだわらなければ、その労力ははるかに少なくて済む。伐り捨てた木は環境改善に様々な効用をもたらし、山の肥料となる。鋸谷さんは「切り捨て」ではなく「伐り置き」と呼んでいる。下刈りや雪起こしにも、見栄えを優先したムダな作業が蔓延していることを、鋸谷さんは指摘している。
 植生をもって植生を制する=山は常に動いており、鋸谷式間伐の密度管理に沿って強度間伐しても、10年後には樹冠が密閉して下層植生が衰退する(次の間伐が必要だ)。このスパンをもっと長く伸ばそうと強度間伐しすぎれば、下から生えてくる広葉樹に逆転されてしまう。この照度調節によって、植生を誘導・制御するのが林業の鍵だ。夏の日照時間が長く、雨が多い日本の気候風土ではとくにそうである。
 日本の気候風土を活かす育林法=ヨーロッパ諸国の年間総雨量が、わずか数日の集中豪雨で降ってしまうことがある日本の山間部。そして、地面に日が差す空間ができれば、そこから勝手に草木が生えてくる風土。このような地域は、地球規模でみれば極めて恵まれた場所なのだ。しかし林床に光の差さない線香林をつくれば、この条件が仇となり、環境的には最悪の事態を招く。
 鋸谷式育林法は、これらの特性を活かし、すばらしい環境林をつくると共に、経済林としても長く循環できる森をつくる。また、荒廃林を最短距離で救う方法も提示している。




第2章「森林との新しい出会い:桜山きづきの森の経験」

1)それは山主さんの疑問から始まった
 群馬県鬼石町は人工林がとても多い地域である。金澤なほみさんは20haほどの山林を所有されていて、かつては製材業を営まれれていた。林業不況から製材所をたたみ林業作業員の常雇いも解雇。受け継いだ山林をなんとか自分でも勉強していこうというとき、未来樹2001のホームページに出会った。
 きっかけの一つは「間伐しても暗いままの山」への疑問だったという。森林組合に間伐してもらった山はたしかに伐った跡があるのだけれど、林床は暗いままでいっこうに草が生えてこない。問いつめると「伐り過ぎると雪で折れるから……」という答えが帰ってきたという。そこでなほみさん自身は「皆伐して広葉樹の山にしたい」と考えていたのである。

2)間伐講習会をきっかけに定例活動開始
 鋸谷さん自身は福井県の仕事場で「良質材生産のすすめ」という小冊子をつくり普及活動をされていたが、僕は鋸谷さんに福井の山に案内してもらったとき「『間伐』に絞り込んだマニュアルがあるといい」と感じた。そこでイラストで読みやすいマニュアルをつくり、鋸谷さんの了解を得て未来樹のホームページで流し始めた。それを見た金澤なほみさんがフィールドを提供してくれることになり、2001年2月に鋸谷講師の間伐講習会が開かれたのだった。
 その間伐講習会は解りやすい画期的なもので、それをきっかけに林業技術雑誌への連載、単行本の完成へとつながった(『鋸谷式 新・間伐マニュアル』全林恊、『図解 これならできる山づくり』農文協)。僕らはそのフィールドを継続してお借りし、ボランティアによる月2回の定例活動を開始した。会の名称は冬桜で有名な桜山の頂上近くであることから「桜山きづきの森」と名付けられた。


   
   
きづきの森/未間伐のヒノキ林(左)と間伐3〜4年目のヒノキ林(右)

  
3)素人でもできる鋸谷式間伐法
 間伐しても山が良くならないのはなぜか? 伐り方が足りないからである。それは、伐り方の指針がいまだに明確でないことを意味している。極端に木が必要で値段の高い時代から、極端に底値の時代になってしまった。大量に植えられた人工林は手入れを放棄され、昔の間伐方法(間伐率)では追い付かないくらい密になり、荒廃している。
 チェーンソーによる伐倒はたしかに危険をともなう。しかし、拡大造林時代に木を植え、下刈りをして育てた多くの木は、山村に住む「林業に関しては素人」の人たちが、汗を流して育てたものである。山村が過疎になって人手がない今、山林を受け継いだ人が、あるいは町の素人が、真剣に林業技術を学び、間伐作業でその遺産を引き受けなくてどうするのか?
 間伐で一番重要なのは「選木」である。木を見る目さえ養えば、残す本数は「密度管理竿」が教えてくれる。鋸谷式間伐なら、素人でも確実にいい山が作れるのである。また、枯木が倒壊しても危険でない場所なら「巻き枯し間伐」をすればよく、これなら施業上の危険も少ない。

4)荒れた人工林を逆手にとる森遊び
 人工林の施業で気持ちの良い汗を流し、間伐広場のベンチに座って焚火を囲むとき、気分はプライベートなキャンプ場にいるかのようで、くつろいだ気分になれる。しかし、考えてみれば、林業が窮地に立ったからこそ、僕たちのような門外漢が私有林で遊ぶことができるのだ。
 間伐遅れの山を鋸谷式で強度間伐すれば、大量の間伐材がでる。大量といっても、荒廃した森の中から、悪い木を選んで伐っていくわけだから、良い材は出にくい。伐り置きして土に返すのがいいのだけれど、運び出して使えるならどんどん使うといい。薪にしてもいいし、木工素材に使っても面白い。明るく開放的な鋸谷式間伐跡地は、子供たちにはアスレチック広場だ。一ケ所小さな皆伐地をつくるといい。子供たちは倒木で様々な遊びを始めることだろう。きづきの森の広場で、は音楽会や石窯によるピザ料理会など、様々なイベントを楽しんでいる。


         
        
きづきの森/ミニティピーで遊ぶ子供たち(左)、石窯でピザを焼く(右)


 まったく下草がみられなかったヒノキの荒廃林でさえ、鋸谷式間伐なら間伐1年目から森はよみがえり、スミレなどの花が見られるようになる。植物・昆虫・鳥・菌類、これらはみな連鎖している。やがて広葉樹が育ち始め、林内に小動物の糞がみられるようになる。自然愛好者にとっては、強度間伐跡地は生命の楽園である。

5)人の輪が広がる
 そうして環境が調い、次の間伐で大きな木が出たら、それは家づくりに使うといい。家をつくる、といっても、高級な家を新築するばかりが能ではない。きづきの森のように、最初は「物置き」風の小屋でもいい。過疎の山村には空家がたくさん残っている。もう手に入れることができないような良材を骨組みに使っている古民家が、たくさん放置されようとしている。傷みの浅いうちに借りて、地元の材でどんどん補修していけばいい。きづきの森では「日本財団」の助成金を利用して簡易製材機「ロゴソール」を購入したが(値段は約70万円ほど)、慣れれば間伐材から柱でも板でも、かなりの精度で製材することができる。
 森づくりと家づくりとの関係性が、現代ほど切り離されてしまった時代もないだろう。かつて家づくりは、共同体の皆が参加した大きなイベントであった。その時代には、お金などそれほどかからなかったのだ。 
 家づくりで人の輪が広がるとき、自分たちの暮らしをもういちど見つめなおす視点が生まれることだろう。畑、木工、陶芸、布織り──自給自足と手づくりを取り戻す生活、その原点に山がある、という感覚である。

6)むすび──新たな課題
 林業に儲け最優先の「経済原理」を当てはめるべきではない。かといって木が使われない、山に見向きもしないということではない。だれもが身近に山に向き合う、木を使う生活を取り戻す。森の恵みをいただく生活を取り戻すとうことがいま大切だ。かといって江戸時代に戻ることはできないが、僕たちは新しい技術と道具を持ち、情報を直感的に交わすツールを持っている。 
 チェーンソーによる製材、電動木工機具、インパクトドライバー、建築金具、木を出すにしても、丈夫なロープ、小型作業車、バックホウ、生活道具としての高性能4WD小型車(軽トラ・軽ワンボックス)、携帯電話による緻密な連絡のとりあい。インターネットによる情報交換や品物売買。
 こんなに森に恵まれた国に住んでいながら、人の生活の核ともいうべき住宅をスクラップ&ビルドで安づくりしていいはずがない。鋸谷式間伐による「森林の再生」と「新しい山村文化の創造」を結び付ける。新たな感性で森の復興を願う日本人にとって、これが次なる課題である。■



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