04.3.25. 高知県檮原町/大内正伸「間伐講習会」
対象:山林所有者を中心とした町民、および役場、森林組合等の林業関係者/於:檮原町開発センター
高知県檮原町は四国の中央部西側、愛媛県との県境の町。四万十川最源流の町である。国際森林認証制度FSC、団体における日本第1号。四国でも間伐が進んでいる地域だ。
講演が収録できなかったので、配布資料、講演の要旨、当時の日記からの抜粋を記す。
▼講演配布資料
◯講演の要旨・要約
◯図1/間伐が遅れた山vs理想的な人工林(鋸谷式間伐の山)
◯図2/収穫までの育林模式図(『図解 これならできる山づくり』P.24〜25)
◯表/密度管理竿のシール(『鋸谷式 新・間伐マニュアル』P.30)
▼講演の要旨・要約
1)鋸谷さん語録
・中に広葉樹が生えている山がいい
・林業はもともと儲かる仕事ではない
・間伐材を使おうとするから間伐が進まない
・林業は王者の仕事である
・日本の林業はまちがいだらけ
2)日本の山の特質
・植物の生育の適した気候/湿潤、温暖、日照、夏至と梅雨、根雪
(急峻な地形だが、林業に適した範囲が広い)
・放っておけば草木が勝手に生えてくる。
(地面に堆積している種、風や鳥、動物が運ぶ種、空から飛んでくる種、伐っても切り株から生えてくる広葉樹)
・災害の多い山/台風、豪雪、地震、/土砂崩壊、地滑り/鉄砲水、洪水
3)日本の林業はまちがいだらけ
原因/閉鎖的な世界(枝打ちの原理※を絶対に教えない有名林業地)、西洋輸入の効率優先主義、近代という時代の要請(一気に入り込んできた西洋的合理主義、震災、大戦/大量に必要だった木質素材/急激なエネルギー革命・代替素材の普及、木材輸入の自由化)
・植林(根本の位置と葉の向き)
・下刈り(日照時間の最も長い梅雨時期に)
・雪起こし(樹高2mを越えてから、それ以下は自然に起きる)
・枝打ち(枝座は打たない、樹高の半分まで)
・間伐(残す木と競合する木を伐る、接近2本までOK)
・伐り置き間伐の集積は不要(倒したまま散乱していてよい)
4、山はすべての生き物の原点
生命循環は土壌が鍵/豊かな土壌は人工的にはつくれない/山は偉大な土壌循環装置/農地も川も海も、山が育てる
5、二つの木材生産のかたち、これからは森づくり
◇暗い山・緻密な管理・目の詰まった木・4面無節の木・柱材生産の山・こまめな間伐材利用・動物棲めない・植物相貧弱・土壌が貧栄養・保水力弱い・川が貧栄養・土砂崩壊の危険(50年に1度、100年に1度でも1回は1回)
◇明るい山・おおらかな管理(山は日本の恵まれた気候風土がつくってくれる)・年輪幅4mmで太らせるための枝打ち、明るい山でありながら完満な木をつくるための枝打ち・大径木生産の山(広葉樹も大きく通直に育つ)・動物が棲める・植物相豊か・土壌が豊か(土壌微生物の数が数千倍、数万倍)、保水力がある(緑のダム)
6、伊勢神宮宮域林に学ぶ
・伊勢の御杣山は荒山・洪水の山だった!?
・70年前から鋸谷式間伐で仕立てたヒノキ林
・洪水がおきない山の秘密
林間の大きな広葉樹、尾根筋と沢筋に残す広葉樹のベルト、水みちを切断しない林道づくり
7、OGAYA式なら・・・日本全山FSC
▼日記から
牧野記念館で長居をしてしまい、道中Nさんに檮原町の話を聞きながら、役場に到着したのは午後3時近く。まず町長さんにご挨拶し、遅い昼食を取りながら産業振興課のTさんと打ち合わせ。町内の森などを案内してもらう。
檮原町は高知空港から車で一時間半。特別有名な観光名所があるわけでなく、山林がほとんどで農地面積はわずかしかない。山は人工林率が約70パーセントと高く樹種はスギが多いのだが、そのほとんどが戦後の拡大造林で植えらたもので胸高直径30cm以下のものだ(これは全国共通の傾向である)。
町は「林業」と「環境」で売り出す方針を打ち出し、林業については森林組合が国際森林認証制度FSCを全国に先がけていち早く取得。環境面ではクリーンエネルギーの風力発電などを行っている。また、特筆すべきは、町が強度間伐を推進していることで、間伐を進めるために1町歩当たり10万円の補助を出している(期間限定つき)。
というわけで、高知県下でも最も間伐が進んだ地区、といわれている。しかし「間伐が進んでいる」のと「良好な森が再生している」のとは別のものである。どこでも同じなのだけれども、ここ檮原町でも山林所有者は本数にして5割以上になることの多い強度間伐(しかも伐り置き)にはアレルギーがあるようで、道々に見える人工林には荒廃した暗い森も多く見受けられた。
現在の多くの人工林では、間伐率が低いと数年で樹冠が閉塞してしまい、林内環境はいっこうに改善されないのである。町の強度間伐の見本林「竜馬の森」(竜馬生誕300年の2135年まで主伐を行わない名目のFSC認証林)も案内していただいたが、これは中層木の広葉樹がまだ小さいものの、しっかりと間伐が行われていた(立て看板によれば最も疎の林分で240本/ha)。
「このような強度間伐の見本林が道から見えるところにあるといいのですが・・・」と案内のTさんがつぶやいた。
森林組合の運営する製材工場や乾燥施設、ストックヤードも見せていただいた。ここでも皮は肥料用に、端材はパルプ用チップに、ときめ細かに仕分けし流通させている。国際認証制度FSC認定の山から出材された丸太には小口で判別できるよう色分けがつき、製材された木材も出荷用の結束ベルトの色がちがっていてFSCの文字がベルトにプリントされている。
FSC取得の波及効果で製材所は忙しくなったというが、これは主に町がPRのために積極的にFSC材を使うように働きかけているからだという(FSCの製品を使う工務店には町から補助金が出る)。
「FSCの知名度が消費者に伝わるにはまだまだずっと先でしょう」とTさん。なにしろ、人工林荒廃の問題すら多くの一般消費者がほとんど知らないのだから。
しかし、このFSCという制度、環境林という視点からみるなら実に奇妙なしろものである。持続可能な環境林なら当然「強度間伐」の森になるはずなだが、審査の際にそこにスポットは当たらないらしい。つまり2割でも3割でも、間伐という作業を怠らなければいい、というのである。
というわけで、檮原町のかなりの面積の林地がFSCに認証されながら、強度間伐の森(針広混交の環境的に理想的な森林)がまだまだ少ないのである。Tさんによれば、FSC取得で最も重要なポイントは「林地の境界と、過去の施業履歴がはっきりわかること」なのだそうで、日本の多くの林地はこの2つをクリアーすることが難しい、という。
これを聞いて、僕は深く深く疑問に思った。海外の審査員は本当に日本の森の特質を知っているのだろうか? と。温帯域における日本の森と海外の森との決定的なちがいは、日本の場合、日照時間の長い夏至の近辺に降雨量が大きく、その間の下草の成長がきわめて旺盛だということである。これはヨーロッパの森にもアメリカの森にもニュージーランドの森にもみられぬ現象である。
この植物の旺盛な成長は、常に木材を収穫されながらも、日本の山をいつも緑に保ってきた。ところが、間伐が遅れ樹冠が閉塞した場合、植物の成長に不可欠な「光」が遮断され、林床は土がむき出しになる。こうなると非常に厄介だ。「降雨量が大きい」ということが仇になるからである。保水力や山の養分として重要な「表土」が雨で流れてしまう。とくに日本のような「傾斜の多い山」では。
すなわち、現在日本の林業においては、この「間伐による照度の調節」ということが鍵であり、最も重要なのだ。間伐遅れの山は、例えれば「緑が中空に浮かんだ砂漠」のようなものである。まっ先にやらねばいけないのは、この砂漠の林床に光を当て、草を生やして表土の流出を防ぐことである。
そのためには、ただ間伐すればいいわけではない。現在のように間伐遅れの山が多い場合は、強度の間伐をしなければ残された木がすぐに息を吹き返して枝を伸ばし、樹冠を塞いでしまう。ここでも、日本の気候風土の特質である「旺盛な植物の生育」が仇になってくるのである。
海外からやってきた審査員たちは、年間を通して日本に滞在し、この日本の自然と山の特質を学んでいるのだろうか? 彼らも日本の山間部を移動の際に、車窓から荒廃した人工林を見ているはずだ。僕はSFC取得日本第一号「速水林業」の山を見学したときに見た、尾鷲の他の山々の荒廃したヒノキ林の光景を忘れることができない。
団体におけるFSC取得第1号ここ檮原町の山に来る途中にも、荒廃した人工林を数多く見てきた。海外からの審査員が、ヨーロッパ林業をスタンダードとする意識に凝り固まっているとしたら、多少の荒廃した森には驚かないかもしれない。しかし、彼らは知っているのだろうか? ヨーロッパ諸国の1年分の雨が、日本の山岳地帯では1〜2日で降ってしまうことがあるということを。根こそぎ木を倒してしまう台風の来襲、ヨーロッパ諸国でみられぬ「重い雪」が降る山がたくさんあるということを。
今年もまた、山の木々は成長を続けている。■
(2004.3.24/大内正伸)
講演の帰路、地芳峠付近。大規模な雪害林の斜面に出会う
※追記:枝打ちの原理
「枝打ち」で最も重要なことは、枝の付け根のコブ状の所(枝座/「しざ」と呼ばれる部分)を切らないで残すことである。この部分を切ってしまうと幹を傷つけたと同じことになり、多かれ少なかれ、必ずシミ(腐朽菌)が入る。ひどいときには木目にそって上下に数十センチ以上広がることがある。
ところが、枝打ち技術の本家、京都の北山では、このコブ状の所(枝座)を切っている。これは、北山は「磨き丸太」(床柱などに使われる)の生産地で、磨き丸太は材の表面が滑らかであればよく、内部にシミがあってもいっこうにかまわないからである(事実、北山スギの磨き丸太を製材してみると、シミが多数みられる)。戦後の木材高騰期には「足場丸太」生産の林業地があったが、この場合もまた、内部のシミより表面の平滑さを優先するので、枝座を切ってもよいことになる。
しかし、床柱や足場丸太はいま需要が激減している。今後の多くは、材の内部の傷なしに重点を置く施業がなされるべきであろう。枝座とシミの関係──この重要な事実は、『鋸谷式 新・間伐マニュアル』(大内2002)が世に出るまで、はっきりと説明されたことがなかった。歴史の古い林業地では当然理解されてきたわけだが、営業上、外に漏らさぬ門外不出の技術だったからである。
なお、枝座を残す枝打ちは、道具にナタを使う場合熟達した技術が必要で、ノコギリを使うほうがずっと楽である。ノコを使うと切り口がギザギザになって巻き込みが遅い、というのは昔の話で、現在の改良刃の「枝打ちノコ」を使えばかなり平滑な切り口にすることができ、まったく問題ない(刃のアサリが昔のノコのように外広がりになっていないからである)。「枝打ちはナタじゃないとダメ。だから素人にはムリ」などという脅し文句に騙されないことである。
新興林業地ではいまだに枝座を切っている例をずいぶん目撃している。■