森と動物と林業・雑文
過去ログ/Vol.3
Masanobu's report & essay
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過去に大内が運営していた「未来樹2001と大内正伸のホームページ」の
コンテンツ「日の出日記」より抜粋。
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2002年、広島で行なわれた第7回「森林と市民を結ぶ全国の集い」に参加。
中根先生のレポートに出会い、感銘を受ける。


(初出/2002『大内正伸と未来樹2001のホームページ』/©Masanobu Ohuchi 2006)



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日の出日記◆116.大物3人に出会う★'02.2.10

 朝、散歩に出た。ホテルから1.5キロ先にお寺があり、巨樹があるらしいので歩いて見に行ってきた。夫婦杉とウロの空いたトチノキだった。古い由緒あるお寺のようだった。

 それよりも、道々の周囲の山に興味をひかれた。ほとんどが雑木の山、西日本に多いアカマツの混じる混交林である。 マツ枯れの残骸も目立つけど、20〜30年生のマツも新たに育っているし、常緑樹の雑木がその下に繁茂している。ここ何年もほとんど人が手を入れた気配がない。しかし、これを荒廃した山ととらえるのは間違っている。これも遷移途中のひとつの健全な森林形態と考えるべきであろう。なぜな、らこういう山では、雑木の根がしっかりと地面に伸びて、落ち葉が循環し、表土の流失がまぬがれるからである。また西日本ではマツ枯れの木を伐る施業がなされているようだけれども、どうして枯れた木を切り倒す必要があるのだろうか? まず、枯れ木の伐倒は技術的にも危険である。中が腐っているとツルの原理が効かないし、枝葉のない木はとても速く倒れる。またそれを林外に搬出しようとすれば、そのたびにじゃまな木を伐ったり、林床を傷めることになる。枯れた立ち木には昆虫もやってくるし鳥たちも好んで利用する。枯れ木も森の立派な構成員である。

「枯れ立ち木は倒しておかないと危険だ」という話を耳にするが、山は公園ではないのだから、人の生活圏に危険な枯れ木だけを除去すればいいのであって、すべてを伐り倒す必要はないと思う。
 ボランティアで管理するフィールドにマツ枯れの木があり頻繁にそこに入るので危ないので伐る、というなら話はわかるが、枯れた木は何でも伐って運び出す、というのは人間本位のおかしな考え方である。

 人工林の伐り捨て間伐についても同じことがいえる。伐った木が使われないことをあたかも「悪」であるかのように言い、間伐材で作った製品を美談のごとく話すのをよく耳にするけれども、そもそも山で産まれたものは山で腐って土と化し、他の生物の栄養に還っていくのが自然の姿である。人間はその中からどうしても必要なものだけを取り出せばよい。

 だいいち、荒廃した人工林には、間伐材をそのまま玉伐りせず枝払いせず放置するのが生態学的には一番いい方法なのである。間伐材の搬出手間、製品への歩留まりの悪さ、そんな苦心を費やすなら、少しでも間伐面積を広めるほうに、あるいは一般市民への啓蒙にエネルギーを使うべきだ。それくらい、人工林の間伐は全国で緊急を要する重要な仕事なのである。

 人工林の比較的少ない西日本の里山では、竹がはびこるという大きな問題がおきている。これも、積極的に取り組んで解決策を見つけていかなければならない。

 もう一つ、都市近郊の里山・自然林について、萌芽更新不能になる前に、積極的に木を伐って更新させようという動きがあるが、この問題もそれほど簡単・単純ではない。広葉樹の伐倒はスギ・ヒノキよりも難しく、材自体も大変重いものである。また、萌芽時にはひこばえを何本か選択的に伐ってやらなければいけない。

 もともと生活の中で必要があって木を伐り落ち葉をかき、その結果生物多様性がついてきたわけで、この生物多様性を呼び戻すために萌芽更新の真似事をするというのは、これを小さなモデルとして、あるいは自分たちの限定されたフィールドでやるならともかく、すべての里山・自然林にこの動きを与えるのは無理があり危険すぎる

 むしろ受光伐によって生育のいい木をさらに大きくし、下層の雑木も伐らずに残し、落ち葉もそのままにする。そして、生物多様性にはすこし目をつぶっても、治山・治水の方を優先するという、誘導伐方式を採用すべきだろう。これならマニュアルもつくりようがあり、ボランティアでも可能な方法である。人工林の施業について「山は畑ではない」と言い続けてきたけれども、次は「山は公園ではない」と言わねばならないようである。

 分科会6では、熱をおびた間伐一辺倒の話題で終始してしまった。しかし、このような市民の集いでチェーンソーによる間伐が熱を持って語られるようになったのである。時代は変ったのだ。また、市民サイドから、林業界を根底から変革するようなどえらいものが生まれつつある。鋸谷さんの間伐マニュアルもその一つと自負しているが、S-GIT(清水みどり情報局)のチェーンソー伐倒技術の独自のマニュアル化、星の認定制度などもすばらしいアイデアであり、これからのボランティアにはぜひとも必要な制度である。

 分科会終了後、早めに風呂を済ませ、部屋に戻って昨日入手した森林ボランティア関係のパンフレット、会報などに目を通す。ここでまた驚きの2人を発見する。それは「環・太田川」という会報に書かれた田中幾太郎さんと中根周歩さんの文章である。

 田中さんのものは「森林特別号」の中で広島を流れる太田川源流の原生林と野生動物の変遷を聞き書きでまとめたもので、中国山地にはかつて驚くようなブナの原生林があり、ここ50年の間にごく一部を除いてことごとく伐られ、人工林化してしまったこと。それにともないクマなどの野生動物の習性が変らざるをえなかったことが書かれている。田中さんは何冊か著作があるようなので入手して熟読してみたい(現在WEBで一部公開されています。こちら)。

 中根さんのものは、やはり太田川源流の森林問題を研究者の立場で語った「水源の森を考えよう」と題する講演録だが、とくに治山・治水と森林生態の関係について、研究・実験データをもとに解説しているくだりは鋸谷式間伐の有効性を立証する内容である。渓畔林がいかに大切でデリケートなものなのか、林道と水みちの関係なども大変興味深い。中根さんは広島大学大学院生物圏科学研究科教授であり、日本生態学会にも所属されているようだ。これからの人工林の間伐を考えるとき、この講議録は、生態学的なバイブルになるほどの重要な内容なので、中根さんに直接連絡をとり、HPへの公開をお願いするなり転載許可を交渉しようかと考えている(その後、実際に転載許可をいただき、当HPにアップされています。※現在は「神流アトリエ・SHIZUKU」コンテンツのこちらのサイドメニューより)。

 さて、お待ちかね交流会は酒の町西条からの和太鼓アンサンブル。鏡開きでスタート。地元西条の幾種類もの酒を飲み放題という豪快なもの。途中で「何かひとことコーナー」というのがあってオレはいきなりトップバッターで壇上に立たされてしまい、せっかくだから未来樹2001と鋸谷式間伐の話をしてきた。

 そうそう、宴たけなわのころ雪が降り出したのである。そこで酒樽を外に持ち出し雪見酒と洒落こんで、S-JIT代表の石垣さんの熱い語りに耳をかたむけたのであった…………………………………………………………★




間伐講義2001山崎記念農業賞