tamarin10年の独白・・・・by 大内正伸

●間伐の本を書く

森林ボランティアをきっかけに、林業の世界に足を踏み入れて丸10年が過ぎた。そもそものきっかけは1996年、植林に誘われたことだった。それから自らの目と手と足で林業を見て歩き、いま最も必要かつ重要なのは「人工林の間伐」という結論に達した。

そこで出会ったのが、解りやすい理論と実践で強度間伐を推進普及する福井県の鋸谷茂(おがや・しげる)さんだった。鋸谷さんとの四国での出会いが99年。僕はこれをマニュアル化し、ホームページに発表したのが2000年の夏のことである。

これが林業雑誌記者の目にふれ『林業新知識』に連載することになった。鋸谷さんに監修を仰ぎ、僕の文とイラストで2年間連載した。その集成がブックレットとなり2002年の11月、『鋸谷式 新・間伐マニュアル』(全林恊)が発売された。

連載以外にも、この間伐法を世に送り出すために、僕は友人たちと様々な仕掛けをしていった。具体的には鋸谷さんの講演をプロデュースしてその講義録をまとめた。これが後に農文協刊『図解 これならできる山づくり』(2003年12月)に結実していった。

『鋸谷式 新・間伐マニュアル』は1万4000部、『図解 これならできる山づくり』は7刷りまで増刷され、現在も売れ続けている。鋸谷さんは第29回「山崎記念農業賞」受賞。受賞式記念フォーラム「国民の森林づくり:その目的と技法を問う」には僕も出席・講演した。

●理想的な森を保つには

これでかなり日本の森の状況は良くなるのでは? と思われた。が、現実には荒廃林はまだ蔓延したままだ。2003年から2006年にかけて本州・四国の各地を回りながら、人工林の放棄による災害が起きているのをつぶさに見てきた。強度間伐を実践してくれる同志はあまりにも少ないのである。

なぜかというと、材を伐り捨てることにためらいが大きいからだ。林野庁だって「植えろ」と指導した手前「切り捨てろ」とは旗ふりできない。実際、山に暮らし始めた僕らは今、大量に切り捨てる間伐はあまりにも勿体ないと感じている。

そもそも強度間伐はいいことなのだろうか? あらためて言っておきたいのは、下層に草が生え中層に広葉樹が茂り、上層を育林木の針葉樹が占有しているような、健全な森の中で木材生産をすればいい、と言っているのであって、強度間伐そのものがいいと言っているのではない。

伐り捨てによる強度間伐は、荒廃林を理想的人工林に導く一つのローコストな手法にすぎない。今の現状では緊急にこのやり方が必要だと言っているのだ。本当は、弱度の間伐で細やかな管理をしながら、前記のような理想的人工林が保てるなら一番いいのではないだろうか。

●林道との出会い

しかし、そのような余裕が今の日本人にはないのである。森の価値が解らないのである。木質素材を暮らしに使う記憶が、今まさに日本から消えようとしている。では、残された広大な人工林を救う手だてはないのか?

結論から言えば、現在の条件のままそれを解決するには、環境親和型の林道(作業道)を開設するのが一番いい。材がお金になることは、やはり人を明るくさせる。大きく儲からなくても、パートで町に出て時給を稼ぐ仕事と同等の利益があるなら、間伐材を市場へ出すことを選ぶ。そうすることで、森は活性化し、山村に活気が生まれ、さらに森を将来性のあるものにすることができる。

かつて林道は環境破壊の代名詞のようなものであった。だから、2003年7月に取材した四万十町(旧大正町)の林道には本当に驚かされた。急峻で雨の多い高知の山で、現地の素材だけで崩れない林道ができているのだ。

そこには西洋経由の土木技術にはない、見事なアイデアが結実していた。言い換えれば、日本の気候風土でしかできない手法である。また、拡大造林時に植えられた40年生前後の人工林に、ぴったりの方法なのだった。その間伐材が構造物として有効利用されているからだ。


●森と日本人の幸福

2004年の9月から本格的な山暮らしを始めた。子どもの頃から自然が大好きで、その帰結として森林の復興に全身全霊を傾けている僕にとって、この森と供にある山の暮らしは、人生の目標において「最もやりたかったこと」であり、いま最終到達点に来ていると感じている。

山に暮らしてつくづく思うのは、山の暮らしとは「伐って伐って伐りまくる」暮らしだ、ということである。日本の山の植物の繁茂は、それほど凄まじいものである。木を伐り草を刈ることで、敷地を美しく、暮らしやすくコントロールしていく、生産性を高めていく。そして薪火を使う生活をするとき、その作業は喜びに満ちたものとなる。

燃やした後の灰は肥料になり、安全で美味しい野菜を育てる。適度に伐られた森は常に活性化し、生き物たちを育み、人には豊潤で安定した沢水を与えてくれる。暮らしと林業が繋がるとき、日本人は初めて本当に幸福になれるのだ。

過疎に悩む山村の復興の切り札は、林業の再興にある。日本独自の新しい林道づくりは、雇用の面でも風を生み出す。昔と違ってインターネットなどの通信機器が山村でも使え、優れたエンジン機器があり、重機や軽四駆がある。林業の作業機械も改良の余地はまだまだあるのである。

僕が初めてパソコンを購入したのは2000年の初め。慣れないホームページ作りの原動力の一つは「新・間伐マニュアル」の公開にあった。いま僕らは新たな出発を決意して、ここにホームページの全面刷新をすることにしたのである。

(2006.9.2.by tamarin)


○『現代農業』誌上に「崩れる林道 崩れない林道」を連載しました(2006.9〜2007.9)。

●『図解 山を育てる道づくり』田邊由喜男 監修・大内正伸 著(農文協)を出版しました(2008.2)。